塩鉄論 / 取下篇
賢良曰:「古者、上取有量、自養有度、樂歲不盜、年饑則肆、用民之力、不過歲三日、籍斂、不過十一。君篤愛、臣盡力、上下交讓、天下平。『浚發爾私』、上讓下也。『遂及我私』、先公職也。孟子曰:『未有仁而遺其親、義而後其君也。』君君臣臣、何為其無禮義乎?及周之末塗、德惠塞而嗜欲眾、君奢侈而上求多、民困於下、怠於上公、是以有履畝之稅、碩鼠之詩作也。衛靈公當隆冬興眾穿池、海春諫曰:『天寒、百姓凍餒、願公之罷役也。』公曰:『天寒哉?我何不寒哉?』人之言曰:『安者不能恤危、飽者不能食饑。』故余粱肉者難為言隱約、處佚樂者難為言勤苦。夫高堂邃宇、廣廈洞房者、不知專屋狹廬、上漏下濕者之也。系馬百駟、貨財充內、儲陳納新者、不知有旦無暮、稱貸者之急也。廣第唐園、良田連比者、不知無運踵之業、竄頭宅者之役也。原馬被山、牛羊滿谷者、不知無孤豚瘠犢者之窶也。高枕談臥、無叫號者、不知憂私責與吏正戚者之愁也。被紈躡韋、搏粱嚙肥者、不知短褐之寒、糠之苦也。從容房闈之間、垂拱持案食者、不知跖耒躬耕者之勤也。乘堅驅良、列騎成行者、不知負檐步行者之勞也。匡床旃席、侍御滿側者、不知負輅挽船、登高絕流者之難也。衣輕暖、被美裘、處溫室、載安車者、不知乘邊城、飄胡、代、鄉清風者之危寒也。妻子好合。子孫保之者、不知老母之憔悴、匹婦之悲恨也。耳聽五音、目視弄優者、不知蒙流矢、距敵方外者之死也。東向伏几、振筆如調文者、不知木索之急、棰楚者之痛也。坐旃茵之上、安圖籍之言若易然、亦不知步涉者之難也。昔商鞅之任秦也、刑人若刈菅茅、用師若彈丸、從軍者暴骨長城、戍漕者輦車相望、生而往、死而旋、彼獨非人子耶?故君子仁以恕、義以度、所好惡與天下共之、所不施不仁者。公劉好貨、居者有積、行者有囊。太王好色、內無怨女、外無曠夫。文王作刑、國無怨獄。武王行師、士樂為之死、民樂為之用。若斯、則民何苦而怨、何求而譏?」
新字:賢良曰:「古者、上取有量、自養有度、楽歳不盗、年饑則肆、用民之力、不過歳三日、籍斂、不過十一。君篤愛、臣尽力、上下交譲、天下平。『浚発爾私』、上譲下也。『遂及我私』、先公職也。孟子曰:『未有仁而遺其親、義而後其君也。』君君臣臣、何為其無礼義乎?及周之末塗、徳恵塞而嗜欲眾、君奢侈而上求多、民困於下、怠於上公、是以有履畝之税、碩鼠之詩作也。衛霊公当隆冬興眾穿池、海春諫曰:『天寒、百姓凍餒、願公之罷役也。』公曰:『天寒哉?我何不寒哉?』人之言曰:『安者不能恤危、飽者不能食饑。』故余粱肉者難為言隠約、処佚楽者難為言勤苦。夫高堂邃宇、広廈洞房者、不知専屋狭廬、上漏下湿者之也。系馬百駟、貨財充内、儲陳納新者、不知有旦無暮、称貸者之急也。広第唐園、良田連比者、不知無運踵之業、竄頭宅者之役也。原馬被山、牛羊満谷者、不知無孤豚瘠犢者之窶也。高枕談臥、無叫号者、不知憂私責与吏正戚者之愁也。被紈躡韋、搏粱嚙肥者、不知短褐之寒、糠之苦也。従容房闈之間、垂拱持案食者、不知跖耒躬耕者之勤也。乗堅駆良、列騎成行者、不知負檐歩行者之労也。匡床旃席、侍御満側者、不知負輅挽船、登高絶流者之難也。衣軽暖、被美裘、処温室、載安車者、不知乗辺城、飄胡、代、鄉清風者之危寒也。妻子好合。子孫保之者、不知老母之憔悴、匹婦之悲恨也。耳聴五音、目視弄優者、不知蒙流矢、距敵方外者之死也。東向伏几、振筆如調文者、不知木索之急、棰楚者之痛也。坐旃茵之上、安図籍之言若易然、亦不知歩渉者之難也。昔商鞅之任秦也、刑人若刈菅茅、用師若弾丸、従軍者暴骨長城、戍漕者輦車相望、生而往、死而旋、彼独非人子耶?故君子仁以恕、義以度、所好悪与天下共之、所不施不仁者。公劉好貨、居者有積、行者有囊。太王好色、内無怨女、外無曠夫。文王作刑、国無怨獄。武王行師、士楽為之死、民楽為之用。若斯、則民何苦而怨、何求而譏?」
書き下し
賢良曰く、古者、上取るに量有り、自ら養うに度有り、樂歲には盜まず、年饑うれば則ち肆す。民の力を用うること、歲に三日を過ぎず、籍斂は、十一を過ぎず。君篤く愛し、臣力を盡くし、上下交々讓りて、天下平らかなり。『浚く爾の私を發せ』とは、上の下に讓るなり。『遂に我が私に及ぶ』とは、公職を先にするなり。孟子曰く、『未だ仁にして其の親を遺つる者、義にして其の君を後にする者有らざるなり』と。君君たり臣臣たり、何為れぞ其れ禮義無からんや。周の末塗に及びて、德惠塞がりて嗜欲眾く、君は奢侈にして上求むること多く、民は下に困しみ、上公に怠る、是を以て履畝の稅有りて、碩鼠の詩作れるなり。衛の靈公、隆冬に當たりて眾を興して池を穿つ。海春諫めて曰く、『天寒く、百姓凍餒す、願わくは公の役を罷めんことを』と。公曰く、『天寒きかな。我何ぞ寒からざるや』と。人の言に曰く、『安き者は危きを恤む能わず、飽く者は饑うるを食わしむる能わず』と。故に粱肉に余りある者は隱約を言い難く、佚樂に處る者は勤苦を言い難し。夫れ高堂邃宇、廣廈洞房なる者は、專屋狹廬、上漏り下濕る者の窘しみを知らず。馬を系ぐこと百駟、貨財內に充ち、陳きを儲え新しきを納るる者は、旦有りて暮無く、稱貸する者の急を知らず。廣第唐園、良田連比なる者は、運踵の業無く、宅に竄頭する者の役を知らず。原馬山を被い、牛羊谷に滿つる者は、孤豚瘠犢すら無き者の窶しきを知らず。枕を高くして談臥し、叫號無き者は、私責と吏正とに憂え戚しむ者の愁いを知らず。紈を被り韋を躡み、粱を搏り肥を嚙む者は、短褐の寒き、糠の苦きを知らず。房闈の間に從容として、垂拱して案食を持する者は、耒を跖みて躬ら耕す者の勤めを知らず。堅きに乘り良きを驅り、騎を列ねて行を成す者は、檐を負いて步行する者の勞を知らず。匡床旃席、侍御側に滿つる者は、輅を負い船を挽き、高きに登り流れを絕つ者の難きを知らず。輕暖を衣、美裘を被り、溫室に處り、安車に載る者は、邊城に乘り、胡・代に飄い、清風に鄉かう者の危寒を知らず。妻子好合し、子孫之を保つ者は、老母の憔悴、匹婦の悲恨を知らず。耳に五音を聽き、目に弄優を視る者は、流矢を蒙り、敵を方外に距ぐ者の死を知らず。東に向かいて几に伏し、筆を振るいて文を調うるが如き者は、木索の急、棰楚せらるる者の痛みを知らず。旃茵の上に坐し、圖籍の言を易きが若く然りと安んずる者も、亦た步涉する者の難きを知らざるなり。昔、商鞅の秦に任ぜらるるや、人を刑すること菅茅を刈るが若く、師を用うること彈丸の若し。軍に從う者は骨を長城に暴し、戍漕する者は輦車相い望む。生きて往き、死して旋る、彼れ獨り人の子に非ざらんや。故に君子は仁もて以て恕し、義もて以て度り、好惡する所は天下と之を共にし、不仁なる者には施さざる所なり。公劉は貨を好みて、居る者に積有り、行く者に囊有り。太王は色を好みて、內に怨女無く、外に曠夫無し。文王は刑を作りて、國に怨獄無し。武王は師を行りて、士は樂しみて之が為に死し、民は樂しみて之が為に用いらる。斯くの若くんば、則ち民何ぞ苦しみて怨み、何をか求めて譏らんや。
現代語訳
賢良が言った。「昔は、上が取るのに限度があり、自分を養うのにも節度がありました。豊作の年でも盗まず、飢饉の年には蔵を開いた。民の労力を用いるのは年に三日を超えず、租税は十分の一を超えなかった。君主は篤く愛し、臣下は力を尽くし、上下が互いに譲り合って、天下は平らかだったのです。詩経の『あまねくお前の私田を耕せ』は、上が下に譲ることです。『そのうえで我が私田にも及ぶ』は、公の務めを先にすることです。孟子は『仁でありながら親を見捨てた者、義でありながら君を後回しにした者は、いまだかつていない』と言いました。君が君らしく臣が臣らしくあれば、どうして礼義が無いことがありましょう。周の末期になると、徳と恵みは塞がり、欲望ばかりが多くなった。君主は贅沢をし、上が求めるものは多く、民は下で苦しみ、公の務めを怠るようになった。だから畝ごとに課す税が生まれ、『碩鼠』の詩が作られたのです。衛の霊公は真冬に人を集めて池を掘らせました。海春が諌めて『天は寒く、民は凍え飢えています。どうか工事をおやめください』と言うと、霊公は『天が寒いだと。わたしはどうして寒くないのか』と答えました。人の言葉に『安らかな者は危うい者を憐れむことができず、腹の満ちた者は飢えた者に食べさせることができない』とあります。だから米と肉が有り余る者には貧窮を語りにくく、安楽の中にいる者には辛苦を語りにくいのです。高い座敷と奥深い建物、広い屋敷と奥の間に住む者は、一間きりの狭い小屋で、上から漏れ下から湿ってくる暮らしの窮屈さを知りません。馬を四百頭つなぎ、財貨が屋内に満ち、古いものを蓄えて新しいものを入れる者は、朝はあっても夕べの当てがなく、借金に走る者の切迫を知りません。広い屋敷と庭園を構え、良田が地続きに並ぶ者は、踵を回すほどの土地もなく、家に頭を隠すようにして暮らす者の労役を知りません。野に馬が山を覆い、牛や羊が谷に満ちる者は、子豚一匹、痩せた子牛一頭さえ持たない者の貧しさを知りません。枕を高くして寝ながら語り、怒鳴られることのない者は、私の借財と役人の取り立てに挟まれた者の愁いを知りません。絹をまとい柔らかな革を履き、上等の米をつかんで脂の乗った肉を噛む者は、粗末な短い衣の寒さと、糠を食う苦さを知りません。奥の間でゆったりと、手を垂れたまま食膳を運ばせる者は、鋤を踏んで自分で耕す者の骨折りを知りません。頑丈な車に乗り良馬を駆り、騎馬を並べて行列を成す者は、荷を担いで歩く者の疲れを知りません。四角い寝台に毛氈を敷き、侍る者が脇に満ちている者は、轅を背負い船を曳き、高みに登り流れを渡る者の難儀を知りません。軽くて暖かい衣をまとい、美しい毛皮を着て、暖かい部屋にいて、乗り心地のよい車に乗る者は、辺境の城に立ち、胡や代の地に吹き飛ばされ、身を切る風に向かう者の危うさと寒さを知りません。妻子が仲睦まじく、子孫がそれを保っている者は、老いた母のやつれと、一人残された妻の悲しみを知りません。耳に五音を聴き、目に芸人の芸を見る者は、流れ矢を浴び、国境の外で敵を防ぐ者の死を知りません。東を向いて机に伏し、筆を振るって文をととのえる者は、縄目の厳しさと、笞で打たれる者の痛みを知りません。毛氈の敷物の上に座り、地図と書物の言葉を易しいものだと安んじている者もまた、そこを歩いて渡る者の難儀を知らないのです。昔、商鞅が秦に任用されたとき、人を刑に処すことは茅を刈るようであり、兵を用いることは弾を弾くようでした。従軍した者は長城に骨をさらし、辺境へ運ぶ者の荷車は列をなして続いた。生きて行き、死んで帰る。彼らだけが人の子ではないとでもいうのですか。だから君子は、仁によって思いやり、義によって推し量り、好むものも憎むものも天下と共にし、不仁なことは人に施さないのです。公劉は財を好みましたが、留まる者には蓄えがあり、旅立つ者には袋がありました。太王は色を好みましたが、内に嫁げぬ女はなく、外に妻を持てぬ男はいませんでした。文王は刑を定めましたが、国に恨みの裁きはありませんでした。武王は軍を動かしましたが、士は喜んでそのために死に、民は喜んでそのために用いられました。こうであれば、民が何を苦しんで怨み、何を求めて謗ることがありましょうか」
解説
この章句が説くこと
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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『塩鉄論』雜論篇客曰く、余、鹽・鐵の義を睹、公卿・文學・賢良の論を觀るに、意指路を殊にし、各々出づる所有り。或いは仁義を上び、或いは權利を務む。