群書治要 / 『群書治要』淮南子・仁とは愛し智とは知ること
故仁、智、人材之美者也。所謂仁者愛人也。所謂智者知人也。愛人則無虐刑矣。知人則無亂政矣。三代之所以昌也。而不免於身死人手者、不愛人也。齊王建有三過人之巧而身虜於秦者、不知賢也。故仁莫大於愛人、智莫大於知人、二者不立、雖察惠捷巧、不免於亂矣。
新字:故仁、智、人材之美者也。所謂仁者愛人也。所謂智者知人也。愛人則無虐刑矣。知人則無乱政矣。三代之所以昌也。而不免於身死人手者、不愛人也。斉王建有三過人之巧而身虜於秦者、不知賢也。故仁莫大於愛人、智莫大於知人、二者不立、雖察恵捷巧、不免於乱矣。
書き下し
故に仁・智は、人材の美なる者なり。所謂仁とは人を愛するなり。所謂智とは人を知るなり。人を愛すれば則ち虐刑無く、人を知れば則ち乱政無し。三代の昌んなる所以なり。而して身の人の手に死するを免れざる者は、人を愛さざればなり。斉王建は人に過ぐるの巧三つ有りて、身は秦に虜にさるる者は、賢を知らざればなり。故に仁は人を愛するより大なるは莫く、智は人を知るより大なるは莫し。二者立たざれば、察恵捷巧と雖も、乱を免れず。
現代語訳
仁と智は、人の資質の中で最も美しいものです。仁とは人を愛することであり、智とは人を知ることです。人を愛すれば残虐な刑がなくなり、人を知れば乱れた政がなくなります。これが三代の栄えた理由です。一方、人の手にかかって死ぬことを免れなかった者は、人を愛さなかったからです。斉王建は人にすぐれた巧みさが三つもありながら、身を秦に捕らえられたのは、賢者を知らなかったからです。だから仁は人を愛することより大きなものはなく、智は人を知ることより大きなものはありません。この二つが立たなければ、さとく利発で手際がよくても、乱れを免れません。
解説

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