春秋繁露 / 『春秋繁露』仁義法第二十九・仁は人に向け、義は己に向ける
是故春秋為仁義法、仁之法在愛人、不在愛我;義之法在正我、不在正人;我不自正、雖能正人、弗予為義;人不被其愛、雖厚自愛、不予為仁。昔者、晉靈公殺膳宰以淑飲食、彈大夫以娛其意、非不厚自愛也、然而不得為淑人者、不愛人也。
新字:是故春秋為仁義法、仁之法在愛人、不在愛我;義之法在正我、不在正人;我不自正、雖能正人、弗予為義;人不被其愛、雖厚自愛、不予為仁。昔者、晋霊公殺膳宰以淑飲食、弾大夫以娯其意、非不厚自愛也、然而不得為淑人者、不愛人也。
書き下し
是の故に春秋は仁義の法を為す。仁の法は人を愛するに在りて、我を愛するに在らず。義の法は我を正すに在りて、人を正すに在らず。我自ら正さざれば、能く人を正すと雖も、予して義と為さず。人其の愛を被らざれば、厚く自ら愛すと雖も、予して仁と為さず。昔者、晋の霊公は膳宰を殺して以て飲食を淑くし、大夫を弾ちて以て其の意を娯しましむ。厚く自ら愛せざるに非ざるなり。然れども淑人と為るを得ざる者は、人を愛せざればなり。
現代語訳
そこで『春秋』は仁と義のあり方を定めています。仁のあり方は人を愛することにあって、自分を愛することにはありません。義のあり方は自分を正すことにあって、他人を正すことにはありません。自分を正さないなら、他人を正せたとしても義とは認めません。他人がその愛を受けていないなら、自分を厚く愛していても仁とは認めません。昔、晋の霊公は、料理人を殺して食事を整えさせ、大夫を弾き弓で撃って楽しみました。自分を大切にしていなかったわけではありません。それでも善い人とされないのは、人を愛さなかったからです。
解説
仁は他人に向けるもの、義は自分に向けるものとして使い分ける、という整理です。『春秋繁露』の中でも有名な論点で、他人に厳しく自分に甘い態度を戒める趣旨です。晋の霊公の例は、君主が自分の楽しみのために家臣を傷つけた話として知られます。管理職にとっては、部下には思いやりを向け、基準の厳しさは自分に向ける、という切り分けが示唆になります。逆に、自分を甘やかして他人に厳しくなると、組織の信頼を失います。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
仁義愛人正我春秋晋霊公自律
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