群書治要 / 『群書治要』申子・乗っ取りは情報の遮断から始まる
今人君之所以高為城郭用謹門閭之閉者、為寇戎盗賊之至也。今夫弒君而取國者、非必逾城郭之險而犯門閭之閉也。蔽君之明、塞君之聽、奪之政而專其令、有其民而取其國矣。
新字:今人君之所以高為城郭用謹門閭之閉者、為寇戎盗賊之至也。今夫弒君而取国者、非必逾城郭之険而犯門閭之閉也。蔽君之明、塞君之聴、奪之政而専其令、有其民而取其国矣。
書き下し
今、人君の高く城郭を為り、用て門閭の閉を謹む所以の者は、寇戎盗賊の至るが為なり。今、夫の君を弑して国を取る者は、必ずしも城郭の険を逾え門閭の閉を犯すに非ざるなり。君の明を蔽い、君の聴を塞ぎ、之が政を奪いて其の令を専らにし、其の民を有して其の国を取るのみ。
現代語訳
現在、君主が城壁を高く築き、門の戸締まりを厳重にするのは、外敵や盗賊が来るのを防ぐためです。ところが、君主を殺して国を奪う者は、必ずしも城壁の険を越え、門の戸締まりを破るわけではありません。君主の目を覆い、耳をふさぎ、政治を奪って命令を一手に握り、その民を自分のものにして国を奪うのです。
解説
申子は申不害とされ、韓の昭侯に仕えた法家の宰相で、原本は散逸し、群書治要に一部が残ります。ここでは、国の危うさが外ではなく君主のそばにあることを述べます。重要なのは、乗っ取りは城門を破ることではなく、情報の遮断から始まるという点です。現代の組織でも、特定の側近や一部の部署が情報の入口を握ると、トップは正確な現場を知れなくなります。外部の脅威への備えと同じ熱量で、情報が自分に届く経路を点検しているか。そう問い直す材料です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
申子申不害情報遮断側近君主の目と耳組織統治
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