史記 / 秦始皇本紀
盧生說始皇曰:「臣等求芝奇藥僊者常弗遇,類物有害之者。方中,人主時為微行以辟惡鬼,惡鬼辟,真人至。人主所居而人臣知之,則害於神。真人者,入水不濡,入火不爇,陵雲氣,與天地久長。今上治天下,未能恬倓。願上所居宮毋令人知,然後不死之藥殆可得也。」於是始皇曰:「吾慕真人,自謂『真人』,不稱『朕』。」乃令咸陽之旁二百里內宮觀二百七十復道甬道相連,帷帳鐘鼓美人充之,各案署不移徙。行所幸,有言其處者,罪死。始皇帝幸梁山宮,從山上見丞相車騎眾,弗善也。
新字:盧生説始皇曰:「臣等求芝奇薬僊者常弗遇,類物有害之者。方中,人主時為微行以辟悪鬼,悪鬼辟,真人至。人主所居而人臣知之,則害於神。真人者,入水不濡,入火不爇,陵雲気,与天地久長。今上治天下,未能恬倓。願上所居宮毋令人知,然後不死之薬殆可得也。」於是始皇曰:「吾慕真人,自謂『真人』,不称『朕』。」乃令咸陽之旁二百里内宮観二百七十復道甬道相連,帷帳鐘鼓美人充之,各案署不移徙。行所幸,有言其処者,罪死。始皇帝幸梁山宮,従山上見丞相車騎衆,弗善也。
書き下し
盧生始皇に説きて曰く、「臣等芝奇薬僊者を求むるも常に遇はず、類ひ物之を害する者有り。方中に、人主時に微行を為して以て悪鬼を辟く。悪鬼辟くれば、真人至る。人主の居る所を人臣之を知らば、則ち神を害す。真人は、水に入るも濡れず、火に入るも爇けず、雲気を陵ぎ、天地と久長なり。今上天下を治むるも、未だ恬倓なる能はず。願はくは上の居る所の宮、人をして知らしむる毋かれ。然る後に不死の薬殆ど得可きなり」と。是に於て始皇曰く、「吾真人を慕ふ。自ら『真人』と謂ひ、『朕』と称せじ」と。乃ち咸陽の旁二百里内の宮観二百七十をして、復道甬道もて相連ならしめ、帷帳・鐘鼓・美人之に充ち、各署を案じて移徙せしめず。行きて幸する所、其の処を言ふ者有らば、罪死なり。始皇帝梁山宮に幸し、山上より丞相の車騎の衆きを見て、善しとせず。
現代語訳
盧生は始皇帝に説いて言った。「私どもは霊芝や珍しい薬、仙人を探し求めているが、いつも出会えない。何か邪魔をするものがいるようだ。方術の書によれば、君主は時々人目を忍んで行動して悪鬼を避けるものだという。悪鬼を避ければ、真人(道を得た仙人)がやって来る。君主の居場所を臣下が知っていると、神霊の働きを損なう。真人は水に入っても濡れず、火に入っても焼けず、雲気に乗って空を行き、天地とともに永遠に生きる。今、陛下は天下を治めているが、まだ心を安らかで無欲にすることができていない。どうか陛下のおられる宮殿を人に知らせないでほしい。そうすれば、不死の薬もおそらく手に入るであろう。」そこで始皇帝は言った。「私は真人を慕う。これからは自らを『真人』と呼び、『朕』とは称さない。」そして咸陽の周囲二百里以内にある宮殿や楼観二百七十をすべて二重の渡り廊下や壁で囲った道でつなぎ、幕や鐘・太鼓、美女で満たし、それぞれの部署を定めて移動させないようにした。皇帝が行った場所を口外した者は死罪とした。始皇帝が梁山宮に行ったとき、山の上から丞相の車や騎馬の列が多いのを見て、快く思わなかった。
解説
この章句が説くこと
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史記 秦始皇本紀後の使者至る。上問ふ。対へて曰く、「群盗は、郡守尉方に逐捕し、今尽く得たり、憂ふるに足らず」と。上悦ぶ。武臣自ら立ちて趙王と為り、魏咎魏王と為り、田儋斉王と為る。沛公沛に起こる。項梁兵を会稽郡に挙ぐ。二年冬、陳渉の遣はす所の周章等将として西のかた戯に至る。兵数十万。二世大いに驚き、群臣と謀りて曰く、「柰何せん」と。少府章邯曰く、「盗已に至り、衆くして彊し。今近県を発するも及ばず。酈山の徒多し。請ふ之を赦し、兵を授けて以て之を撃たしめん」と。二世乃ち大いに天下に赦し、章邯をして将たらしめ、周章の軍を撃破して走らせ、遂に章を曹陽に殺す。二世益長史司馬欣・董翳を遣はして章邯を佐けて盗を撃たしむ。陳勝を城父に殺し、項梁を定陶に破り、魏咎を臨済に滅ぼす。楚の地の盗の名将已に死し、章邯乃ち北のかた河を渡り、趙王歇等を鉅鹿に撃つ。趙高二世に説きて曰く、「先帝天下を臨制すること久し。故に群臣敢へて非を為し、邪説を進めず。今陛下春秋に富み、初めて位に即く。柰何ぞ公卿と廷に事を決せん。事即し誤り有らば、群臣に短を示すなり。天子は朕と称し、固より声を聞かしめず」と。是に於て二世常に禁中に居り、高と諸事を決す。其の後公卿朝見するを得ること希にして、盗賊益多く、而して関中の卒発して東のかた盗を撃つ者已むこと毋し。右丞相去疾・左丞相斯・将軍馮劫進みて諫めて曰く、「関東の群盗并び起こり、秦兵を発して誅撃し、殺亡する所甚だ衆し。然れども猶ほ止まず。盗の多きは、皆戍漕転作の事苦しく、賦税大なるを以てなり。請ふ且く阿房宮の作者を止め、四辺の戍転を減省せんことを」と。二世曰く、「吾之を韓子に聞く、曰く、『堯舜は采椽刮らず、茅茨翦らず、土塯に飯し、土形に啜る。監門の養と雖も、此より觳ならず。
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史記 李斯列伝初め、趙高郎中令と為り、殺す所及び私怨を報ずる所衆多なり。大臣の入朝して事を奏し之を毀悪せんことを恐れ、乃ち二世に説きて曰く、「天子の貴き所以の者は、但だ声を聞かしむるを以てし、群臣其の面を見るを得る莫し。故に号して『朕』と曰ふ。且つ陛下は春秋に富み、未だ必ずしも尽くは諸事に通ぜず。今朝廷に坐し、譴挙当たらざる者有らば、則ち短を大臣に見す。神明を天下に示す所以に非ざるなり。且つ陛下深く禁中に拱し、臣及び侍中の法に習ふ者と事を待ち、事来たらば以て之を揆る有らん。此の如くんば則ち大臣敢て疑事を奏せず、天下聖主と称せん」と。二世其の計を用ひ、乃ち朝廷に坐して大臣に見えず、禁中に居る。趙高常に侍中して事を用ひ、事皆趙高に決す。高、李斯の以て言を為さんとするを聞き、乃ち丞相に見えて曰く、「関東の群盗多し。今上急に益々繇を発して阿房宮を治め、狗馬無用の物を聚む。臣諫めんと欲するも、位賤しと為す。此れ真に君侯の事なり。君何ぞ諫めざる」と。李斯曰く、「固より也。吾之を言はんと欲すること久し。今時上朝廷に坐せず、上深宮に居る。吾が言はんとする所の者、伝ふべからず。見えんと欲するも間無し」と。趙高謂ひて曰く、「君誠に能く諫めば、請ふ君の為に上の間を候ひて君に語らん」と。是に於て趙高、二世の方に燕楽し、婦女前に居るを待ちて、人をして丞相に告げしむ。「上方に間なり、事を奏すべし」と。丞相宮門に至りて上謁す。此の如き者三たび。二世怒りて曰く、「吾常に間日多きに、丞相来たらず。吾方に燕私するに、丞相輒ち来たりて事を請ふ。丞相豈に我を少しとせんや、且つ我を固とせんや」と。趙高因りて曰く、「此の如くんば殆し。夫れ沙丘の謀、丞相与れり。今陛下已に立ちて帝と為り、而して丞相の貴さ益さず。此れ其の意亦地を裂きて王たらんことを望むなり。且つ陛下臣に問はず、臣敢て言はず。
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