群書治要 / 『群書治要』鶡冠子・人は迎える態度で集まる
博選者、序德程俊也。道凡四稽、一曰天、二曰地、三曰人、四曰命、人有五至、一曰百己、二曰十己、三曰若己、四曰厮役、五曰徒隸、所謂天者、理物情者也。所謂地者、常弗去者也。所謂人者、惡死樂生者也。所謂命者、靡不在君者也。君者、端神明者也。神明者、以人為本、人者、以賢聖為本、賢聖者、以博選為本、博選者、以五至為本、故北面事之、則百己者至、先趍而後息、先問而後默、則十己者至、人趍己趍、則若己者至、馮几據杖、指麾而使、則厮役者至、噫唶叱則徒隸人至矣。故帝者與師處、王者與交處、亡主與役處。
新字:博選者、序徳程俊也。道凡四稽、一曰天、二曰地、三曰人、四曰命、人有五至、一曰百己、二曰十己、三曰若己、四曰厮役、五曰徒隸、所謂天者、理物情者也。所謂地者、常弗去者也。所謂人者、悪死楽生者也。所謂命者、靡不在君者也。君者、端神明者也。神明者、以人為本、人者、以賢聖為本、賢聖者、以博選為本、博選者、以五至為本、故北面事之、則百己者至、先趍而後息、先問而後黙、則十己者至、人趍己趍、則若己者至、馮几拠杖、指麾而使、則厮役者至、噫唶叱則徒隸人至矣。故帝者与師処、王者与交処、亡主与役処。
書き下し
博選とは、徳を序し俊を程るなり。道に凡そ四稽あり。一に曰く天、二に曰く地、三に曰く人、四に曰く命。人に五至あり。一に曰く己に百なる者、二に曰く己に十なる者、三に曰く己に若く者、四に曰く厮役、五に曰く徒隷。所謂天とは、物の情を理むる者なり。所謂地とは、常に去らざる者なり。所謂人とは、死を悪み生を楽しむ者なり。所謂命とは、君に在らざる靡き者なり。君とは、神明を端す者なり。神明とは、人を以て本と為し、人とは、賢聖を以て本と為し、賢聖とは、博選を以て本と為し、博選とは、五至を以て本と為す。故に北面して之に事うれば、則ち己に百なる者至る。先に趍りて後に息い、先に問いて後に黙すれば、則ち己に十なる者至る。人趍れば己も趍れば、則ち己に若く者至る。几に馮り杖に據り、指麾して使えば、則ち厮役の者至る。噫唶して叱すれば、則ち徒隷の人至る。故に帝は師と処り、王は交わりと処り、亡主は役と処る。
現代語訳
「博選」とは、徳を序列し、優れた人を量り選ぶことです。道には四つの拠り所があります。天、地、人、命です。人材には五つの来方があります。自分より百倍優れた者、十倍優れた者、自分と同等の者、使い走りの者、奴隷のような者です。天とは物事の実情を整えるもの、地とは常に離れないもの、人とは死を嫌い生を楽しむもの、命とは君主のあり方にすべてかかっているもの、をいいます。君主とは、心の働きを正しく保つ者です。その心の働きは人を根本とし、人は賢人・聖人を根本とし、賢人・聖人は広く選ぶことを根本とし、広く選ぶことは五つの来方を根本とします。そこで、北面して師として仕えれば、百倍優れた人が来ます。人より先に動いて後で休み、先に問うて後に黙るなら、十倍優れた人が来ます。人が小走りすれば自分も小走りするなら、自分と同等の人が来ます。机にもたれ杖にすがり、指図して使うなら、使い走りの者が来ます。ああと嘆き叱りつければ、奴隷のような人が来ます。ですから、帝者は師と、王者は友と、亡びる君主は使用人と共に過ごすのです。
解説

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