群書治要 / 『群書治要』漢書二・罪は教えの足りなさにあると省みる
書奏天子、天子憐悲其意。遂下令曰:蓋聞有虞氏之時、畫衣冠、異章服以為戮、民不犯、何治之至、今法有肉刑三、而奸不止、其咎安在、非乃朕德之薄而教不明與、吾甚自愧、故夫訓道不純、而愚民陷焉。詩曰:凱悌君子、民之父母、今人有過、教未施而刑已加焉。或欲改行為善、而道無由至、朕甚憐之、夫刑至斷支體、刻肌膚、終身不息、何其刑之痛而不德也。豈稱為民父母之意哉。其除肉刑、有以易之。
新字:書奏天子、天子憐悲其意。遂下令曰:蓋聞有虞氏之時、画衣冠、異章服以為戮、民不犯、何治之至、今法有肉刑三、而奸不止、其咎安在、非乃朕徳之薄而教不明与、吾甚自愧、故夫訓道不純、而愚民陥焉。詩曰:凱悌君子、民之父母、今人有過、教未施而刑已加焉。或欲改行為善、而道無由至、朕甚憐之、夫刑至断支体、刻肌膚、終身不息、何其刑之痛而不徳也。豈称為民父母之意哉。其除肉刑、有以易之。
書き下し
書、天子に奏せられ、天子其の意を憐れみ悲しむ。遂に令を下して曰く、蓋し聞く、有虞氏の時、衣冠に画き、章服を異にして以て戮と為せども、民犯さず、何ぞ治の至れるや。今法に肉刑三有るも、奸止まず、其の咎安くにか在る。乃ち朕の徳の薄くして教え明らかならざるに非ずや。吾甚だ自ら愧ず。故に夫れ訓道純ならずして、愚民陥る。詩に曰く、凱悌の君子は、民の父母、と。今人過ち有るに、教え未だ施されずして刑已に加わる。或いは行いを改め善を為さんと欲すれども、道の至る無し。朕甚だ之を憐れむ。夫れ刑の支体を断ち、肌膚を刻み、終身息まざるに至るは、何ぞ其の刑の痛みて不徳なるや。豈に民の父母たる意に称わんや。其れ肉刑を除き、以て之に易うる有れ。
現代語訳
上書が天子に奏上されると、天子はその思いを憐れみ悲しみました。そして詔を下して言いました。「聞くところでは、有虞氏の時代は、衣冠に印をつけ、服の模様を変えて刑罰の代わりとしたが、民は罪を犯さなかった。なんと政治の行き届いたことか。今は法に三種の肉刑があるのに、悪事がやまない。その責めはどこにあるのか。私の徳が薄く、教えが明らかでないからではないか。私は深く恥じる。教え導くことが不十分で、愚かな民が罪に陥るのだ。詩に言う、『楽しみ慈しむ君子は、民の父母である』と。今、人に過ちがあると、教えがまだ施されないうちに刑がもう加えられる。また、行いを改めて善を行いたいと思っても、その道が開かれていない。私はこれをとても憐れに思う。刑が手足や体を断ち、肌を刻み、一生続くのは、なんと痛ましく、徳に反することか。どうして民の父母たる心にかなうだろうか。肉刑を除き、これに代わる刑を考えよ。」
解説

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史記 孝文本紀五月、斉の太倉の令淳于公罪有りて刑に当たる、詔獄逮へて徙して長安に繋ぐ。太倉公男無く、女五人有り。太倉公将に行きて逮に会はんとす、其の女を罵りて曰く、「子を生みて男を生まず、緩急有れば益有るに非ざるなり。」と。其の少女緹縈自ら傷みて泣き、乃ち其の父に随ひて長安に至り、上書して曰く、「妾の父吏為り、斉中皆其の廉平を称す、今法に坐して刑に当たる。妾傷む夫れ死する者は復た生くべからず、刑せらるる者は復た属すべからず、復た過ちを改めて自ら新たにせんと欲すと雖も、其の道由無きを。妾願はくは没入して官婢と為り、父の刑罪を贖ひ、自ら新たにするを得しめん。」と。書天子に奏せらる、天子其の意を憐悲し、乃ち詔を下して曰く、「蓋し聞く有虞氏の時、衣冠に画き章服を異にして以て僇と為し、而して民犯さずと。何となれば、至治なればなり。今法に肉刑三有り、而して姦止まず、其の咎安くにか在る。乃ち朕の徳薄くして教へ明らかならざるに非ずや。吾甚だ自ら愧づ。故に夫れ馴道純ならずして愚民陥る。詩に曰く『愷悌の君子は、民の父母』と。今人過ち有り、教へ未だ施さずして刑加はる。或いは行ひを改めて善を為さんと欲すれども道由毋きなり。朕甚だ之を憐れむ。夫れ刑支体を断ち、肌膚を刻むに至り、終身息まず、何ぞ其れ楚痛にして不徳なるや、豈に民の父母為るの意に称はんや。其れ肉刑を除け。」と。上曰く、「農は、天下の本なり、務め焉より大なるは莫し。今身を勤めて事に従ひて租税の賦有り、是れ本末を為す者異なる以毋し、其の農を勧むるの道に於て未だ備はらず。其れ田の租税を除け。」と。十四年冬、匈奴辺に入りて寇を為さんと謀り、朝那塞を攻め、北地の都尉卬を殺す。上乃ち三将軍を遣はして隴西・北地・上郡に軍せしめ、中尉周舎を衛将軍と為し、郎中令張武を車騎将軍と為し、渭北に軍せしむ、車千乗、騎卒十万。帝親ら自ら軍を労ひ、兵を勒して教令を申ね、軍の吏卒に賜ふ。
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史記 扁鵲倉公列伝文帝の四年中、人上書して意を言ふ。刑罪を以て当に伝して西のかた長安に之くべし。意に五女有り、随ひて泣く。意怒りて罵りて曰く、「子を生むも男を生まず。緩急に使ふべき者無し」と。是に於て少女緹縈父の言に傷み、乃ち父に随ひて西す。上書して曰く、「妾が父吏と為り、斉中其の廉平を称す。今法に坐して当に刑せらるべし。妾切に痛む、死者は復た生くべからず、而して刑せらるる者は復た続くべからず。過を改めて自ら新たにせんと欲すと雖も、其の道由る莫く、終に得べからず。妾願はくは身を入れて官婢と為り、以て父の刑罪を贖ひ、行ひを改めて自ら新たにするを得しめん」と。書聞す。上其の意を悲しみ、此の歳中に亦肉刑の法を除く。
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『長短経』君徳或るひと傅子に問いて曰く「漢の太宗、肉刑を除く。仁と謂う可きか」と。対えて曰く「匹夫の仁なり。夫れ天下に王たる者は、大いに済す有る者なり。小忍びざるの謂いに非ず」と。此に由りて之を言えば、班固の太宗を以て仁と為すは、肉刑を除くに在らず。景帝の賛に曰く「孔子称す『斯の人や、三代の直道にして行う所以なり』と。信なるかな。周秦の弊は、網密に文峻にして、奸宄勝えず。漢興りて、煩苛を掃除し、人と休息す。孝文に至りて、之に加うるに恭倹を以てす。孝景、業を遵う。五六十載の間、風を移し俗を易うるに至り、黎人醇厚なり。周は成康と云い、漢は文景と言う。美なるかな」と。此れ王道なり。〕
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史記 孝文本紀上曰く、「古の天下を治むるや、朝に進善の旌、誹謗の木有り、治道を通じて諫者を来す所以なり。今法に誹謗妖言の罪有り、是れ衆臣をして敢へて情を尽くさざらしめ、而して上過失を聞く由無からしむ。将た何を以てか遠方の賢良を来さん。其れ之を除け」と。
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『塩鉄論』周秦篇文學曰く、古者、其の禮を周くして其の教えを明らかにす。禮周く教え明らかにして、從わざる者は然る後に之を等するに刑を以てす。刑罰中りて、民怨みず。故に舜は四罪を施して天下咸な服す。不仁を誅すればなり。輕重各々其の誅に服し、刑は必ず加わりて赦す無し。赦すは惟だ疑わしき者のみ。此くの若くんば、則ち世安んぞ不軌の人を得て之を罪せんや。今、人を殺す者は生き、剽攻竊盜する者は富む。故に良民は內に解怠し、耕を輟めて心を隕とす。古者、君子は刑人に近づかず。刑人は人に非ざればなり。身は放殛せられて後世を辱む。故に賢不肖と無く、恥じざるは莫し。今、行い無きの人は、利を貪りて以て其の身を陷れ、戮辱を蒙りて禮義を捐て、茍生に恒たり。何となれば、一日蠶室に下り、創未だ瘳えざるに、人主を宿衛し、宮殿に出入し、由りて奉祿を受け、大官の享賜を食らうを得。身は以て尊榮、妻子は其の饒かなるを獲ればなり。故に或いは卿相の列に載りて、刀鋸に就くも閔まれず。況んや眾庶をや。夫れ何の恥か之れ有らん。今、其の德教を廢して、之を責むるに禮義を以てするは、是れ民を虐ぐるなり。春秋傳に曰く、「子に罪有れば、其の父を執う。臣に罪有れば、其の君を執うるは、聽の失の大なる者なり」と。今、子を以て父を誅し、弟を以て兄を誅し、親戚相い坐し、什伍相い連なるは、根本を引きて華葉に及ぼし、小指を傷つけて四體を累わすが若し。此くの如くんば、則ち罪有るを以て反って無罪を誅し、無罪の者寡なからん。臧文仲魯を治め、其の盜に勝ちて自ら矜る。子貢曰く、「民將に欺かんとす、而るを況んや盜をや」と。故に吏は斷ずること多きを以て良と為さず、醫は刺すこと多きを以て工と為さず。子產は二人を刑し、一人を殺して、道に遺ちたるを拾わず、而して民に誣うる心無し。故に民の父母と為るは、疾める子を養うを以て、恩を長じ厚くするのみ。首匿相坐の法立ちてより、骨肉の恩廢れて、刑罪多し。父母の子に於けるや、罪有りと雖も猶お之を匿す。其れ罪に服せしめんことを欲せざればなり。子は父の為に隱し、父は子の為に隱すと聞くも、未だ父子の相い坐するを聞かず。兄弟は追うを緩くして以て賊を免ると聞くも、未だ兄弟の相い坐するを聞かず。惡を惡むは其の人に止め、始めを疾みて首惡を誅すと聞くも、未だ什伍にして相い坐するを聞かず。老子曰く、「上に欲無くして民は樸に、上に事無くして民は自ら富む」と。君は君たり臣は臣たり、父は父たり子は子たり。地を伍に比するも何ぞ伍せん、而して政を執る者は何をか責めんや。
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『塩鉄論』周秦篇文學曰く、紂は炮烙の刑を為し、而して秦に收帑の法有り。趙高は峻文を以て罪を內に決し、百官は峭法を以て外に斷割す。死者は相い枕席し、刑者は相い望む。百姓は目を側め足を重ね、寒からずして栗う。詩に云う、「天蓋ぞ高しと謂うも、敢えて局まらずんばあらず。地蓋ぞ厚しと謂うも、敢えて蹐まずんばあらず。哀しいかな今の人、胡ぞ虺蜥と為れる」と。此の時に方たりて、豈に特だ刃を冒し蹈むのみならんや。然れども父子相い背き、兄弟相い嫚り、骨肉相い殘い、上下相い殺すに至る。刑輕くして罰必せざるに非ず、令太だ嚴にして仁恩施されざればなり。故に政寬なれば則ち下は其の上に親しみ、政嚴なれば則ち民は其の主を謀る。晉の厲は以て幽せられ、二世は殺さる。惡くにか峻法の犯されず、嚴家の悍虜無きに在らんや。聖人之を知る。是を以て和を務めて威を務めず。故に高皇帝は秦の苛法を約して、以て怨毒の民を慰め、而して和睦の心を長ず。唯だ刑の重くして德の薄きを恐るればなり。是を以て恩施窮まり無く、澤は後世に流る。商鞅・吳起は秦・楚の法を以て輕しと為して之を累ぬ。上は其の主を危うくし、下は其の身を沒す。或いは特だ慈母のみならんや。