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塩鉄論 / 周秦篇

文學曰:「古者、周其禮而明其教、禮周教明、不從者然後等之以刑、刑罰中、民不怨。故舜施四罪而天下咸服、誅不仁也。輕重各服其誅、刑必加而無赦、赦惟疑者。若此、則世安得不軌之人而罪之?今殺人者生、剽攻竊盜者富。故良民內解怠、輟耕而隕心。古者、君子不近刑人、刑人非人也、身放殛而辱後世、故無賢不肖、莫不恥也。今無行之人、貪利以陷其身、蒙戮辱而捐禮義、恒於茍生。何者?一日下蠶室、創未瘳、宿衛人主、出入宮殿、由得受奉祿、食大官享賜、身以尊榮、妻子獲其饒。故或載卿相之列、就刀鋸而不見閔、況眾庶乎?夫何恥之有!今廢其德教、而責之以禮義、是虐民也。春秋傳曰:『子有罪、執其父。臣有罪、執其君、聽失之大者也。』今以子誅父、以弟誅兄、親戚相坐、什伍相連、若引根本之及華葉、傷小指之累四體也。如此、則以有罪反誅無罪、無罪者寡矣。臧文仲治魯、勝其盜而自矜。子貢曰:『民將欺、而況盜乎!』故吏不以多斷為良、醫不以多刺為工。子產刑二人、殺一人、道不拾遺、而民無誣心。故為民父母、以養疾子、長恩厚而已。自首匿相坐之法立、骨肉之恩廢、而刑罪多矣。父母之於子、雖有罪猶匿之、其不欲服罪爾。聞子為父隱、父為子隱、未聞父子之相坐也。聞兄弟緩追以免賊、未聞兄弟之相坐也。聞惡惡止其人、疾始而誅首惡、未聞什伍而相坐也。老子曰:『上無欲而民樸、上無事而民自富。』君君臣臣、父父子子。比地何伍、而執政何責也?」

新字:文学曰:「古者、周其礼而明其教、礼周教明、不従者然後等之以刑、刑罰中、民不怨。故舜施四罪而天下咸服、誅不仁也。軽重各服其誅、刑必加而無赦、赦惟疑者。若此、則世安得不軌之人而罪之?今殺人者生、剽攻竊盗者富。故良民内解怠、輟耕而隕心。古者、君子不近刑人、刑人非人也、身放殛而辱後世、故無賢不肖、莫不恥也。今無行之人、貪利以陥其身、蒙戮辱而捐礼義、恒於茍生。何者?一日下蠶室、創未瘳、宿衛人主、出入宮殿、由得受奉禄、食大官享賜、身以尊栄、妻子獲其饒。故或載卿相之列、就刀鋸而不見閔、況眾庶乎?夫何恥之有!今廃其徳教、而責之以礼義、是虐民也。春秋伝曰:『子有罪、執其父。臣有罪、執其君、聴失之大者也。』今以子誅父、以弟誅兄、親戚相坐、什伍相連、若引根本之及華葉、傷小指之累四体也。如此、則以有罪反誅無罪、無罪者寡矣。臧文仲治魯、勝其盗而自矜。子貢曰:『民将欺、而況盗乎!』故吏不以多断為良、医不以多刺為工。子産刑二人、殺一人、道不拾遺、而民無誣心。故為民父母、以養疾子、長恩厚而已。自首匿相坐之法立、骨肉之恩廃、而刑罪多矣。父母之於子、雖有罪猶匿之、其不欲服罪爾。聞子為父隠、父為子隠、未聞父子之相坐也。聞兄弟緩追以免賊、未聞兄弟之相坐也。聞悪悪止其人、疾始而誅首悪、未聞什伍而相坐也。老子曰:『上無欲而民樸、上無事而民自富。』君君臣臣、父父子子。比地何伍、而執政何責也?」

書き下し

文學曰く、古者、其の禮を周くして其の教えを明らかにす。禮周く教え明らかにして、從わざる者は然る後に之を等するに刑を以てす。刑罰中りて、民怨みず。故に舜は四罪を施して天下咸な服す。不仁を誅すればなり。輕重各々其の誅に服し、刑は必ず加わりて赦す無し。赦すは惟だ疑わしき者のみ。此くの若くんば、則ち世安んぞ不軌の人を得て之を罪せんや。今、人を殺す者は生き、剽攻竊盜する者は富む。故に良民は內に解怠し、耕を輟めて心を隕とす。古者、君子は刑人に近づかず。刑人は人に非ざればなり。身は放殛せられて後世を辱む。故に賢不肖と無く、恥じざるは莫し。今、行い無きの人は、利を貪りて以て其の身を陷れ、戮辱を蒙りて禮義を捐て、茍生に恒たり。何となれば、一日蠶室に下り、創未だ瘳えざるに、人主を宿衛し、宮殿に出入し、由りて奉祿を受け、大官の享賜を食らうを得。身は以て尊榮、妻子は其の饒かなるを獲ればなり。故に或いは卿相の列に載りて、刀鋸に就くも閔まれず。況んや眾庶をや。夫れ何の恥か之れ有らん。今、其の德教を廢して、之を責むるに禮義を以てするは、是れ民を虐ぐるなり。春秋傳に曰く、「子に罪有れば、其の父を執う。臣に罪有れば、其の君を執うるは、聽の失の大なる者なり」と。今、子を以て父を誅し、弟を以て兄を誅し、親戚相い坐し、什伍相い連なるは、根本を引きて華葉に及ぼし、小指を傷つけて四體を累わすが若し。此くの如くんば、則ち罪有るを以て反って無罪を誅し、無罪の者寡なからん。臧文仲魯を治め、其の盜に勝ちて自ら矜る。子貢曰く、「民將に欺かんとす、而るを況んや盜をや」と。故に吏は斷ずること多きを以て良と為さず、醫は刺すこと多きを以て工と為さず。子產は二人を刑し、一人を殺して、道に遺ちたるを拾わず、而して民に誣うる心無し。故に民の父母と為るは、疾める子を養うを以て、恩を長じ厚くするのみ。首匿相坐の法立ちてより、骨肉の恩廢れて、刑罪多し。父母の子に於けるや、罪有りと雖も猶お之を匿す。其れ罪に服せしめんことを欲せざればなり。子は父の為に隱し、父は子の為に隱すと聞くも、未だ父子の相い坐するを聞かず。兄弟は追うを緩くして以て賊を免ると聞くも、未だ兄弟の相い坐するを聞かず。惡を惡むは其の人に止め、始めを疾みて首惡を誅すと聞くも、未だ什伍にして相い坐するを聞かず。老子曰く、「上に欲無くして民は樸に、上に事無くして民は自ら富む」と。君は君たり臣は臣たり、父は父たり子は子たり。地を伍に比するも何ぞ伍せん、而して政を執る者は何をか責めんや。

現代語訳

文学が言った。「古には礼を行き渡らせ、教えを明らかにしました。礼が行き渡り教えが明らかになったうえで、それでも従わない者を、はじめて刑によって等しく処したのです。刑罰が適切なら、民は怨みません。だから舜は四つの罪を処して天下がみな服した。不仁を誅したからです。軽重それぞれがその誅に服し、刑は必ず加えられて赦されない。赦されるのは疑わしい者だけです。そうであれば、世のどこに法を守らぬ人を見つけて罪に問う必要があるでしょう。いまは人を殺した者が生き、襲って盗んだ者が富んでいる。だから良民は内心たるみ、耕すのをやめて気力を落とすのです。古には君子は刑を受けた者に近づきませんでした。刑を受けた者はもはや人ではないからです。身は追放され、後の世まで辱めた。だから賢い者も愚かな者も、恥じない者はなかった。いま行いの無い人は、利を貪って身を落とし、辱めを受けても礼義を捨てて、生きながらえることを常とします。なぜか。一日蚕室に下り、傷がまだ癒えないうちに、主上の宿直を務め、宮殿に出入りし、それによって俸禄を受け、高官の下賜を食べられるからです。身は尊く栄え、妻子は豊かさを得る。だから卿相の列に連なりながら、刀や鋸にかけられても憐れまれない者すらいる。まして民衆はどうでしょう。何の恥がありましょう。いま徳の教えを廃しておきながら、礼義をもって責めるのは、民を虐げることです。春秋伝に『子に罪があってその父を捕らえ、臣に罪があってその君を捕らえるのは、裁きの過ちのうち大きなものだ』とあります。いま子のことで父を誅し、弟のことで兄を誅し、親族が連座し、五戸十戸が連なるのは、根を引いて花や葉にまで及ぼし、小指を傷つけて四肢を巻き込むようなものです。そうなれば、罪ある者によってかえって罪の無い者を誅することになり、罪の無い者は残り少なくなるでしょう。臧文仲は魯を治めて、盗賊に勝ったと自ら誇りました。子貢は『民が欺こうとしているのだ、まして盗賊はなおさらだ』と言いました。だから役人は裁きの多さを良しとせず、医者は刺す回数の多さを腕前としません。子産は二人を刑に処し、一人を殺しただけで、道に落ちているものを拾う者はなくなり、民に偽る心が無くなった。民の父母となるということは、病んだ子を養うように、恩を長く厚くするだけのことです。首謀者を匿った者を連座させる法が立ってから、肉親の恩は廃れ、刑罪が多くなりました。父母は子について、罪があってもなお匿います。罪に服させたくないからです。子は父のために隠し、父は子のために隠すとは聞きますが、父と子が連座するとは聞きません。兄弟が追跡をゆるめて賊を逃がすとは聞きますが、兄弟が連座するとは聞きません。悪を憎むのはその人に止め、始まりを憎んで首謀者を誅すると聞きますが、五戸十戸で連座するとは聞きません。老子は『上に欲が無ければ民は素朴になり、上に事が無ければ民は自ずと富む』と言いました。君は君らしく臣は臣らしく、父は父らしく子は子らしくあればよい。土地を五戸に組ませたところで何を組ませるのか、政を執る者は何を責めるのでしょう」

解説

御史が連座を持ち出したので、文学が恥が働かなくなった理由から説き起こした段です。かつては刑を受けた者は人の倫から外れた。いまは宮刑を受けた者が宮殿に出入りして俸禄を得ている、と現実を突きます。そのうえで連座を切りました。根を引いて花や葉にまで及ぼし、小指を傷つけて四肢を巻き込むようなものだ、と。**子は父のために隠し、父は子のために隠すとは聞くが、父と子が連座するとは聞かない。**子産は二人を刑に処しただけで民に偽る心が無くなった、と締めます。

この章句が説くこと

子は父の為に隠し父は子の為に隠すと聞くも未だ父子の相い坐するを聞かず根本を引きて華葉に及ぼし小指を傷つけて四体を累わすが若し吏は断ずること多きを以て良と為さず連座範囲

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