群書治要 / 『群書治要』禮記・君は心、民は体
子曰:民以君為心、君以民為體、心莊則體舒、心肅則容敬、心好之身必安之、君好之、民必欲之、心以體全、亦以體傷、君以民存、亦以民亡。
新字:子曰:民以君為心、君以民為体、心荘則体舒、心粛則容敬、心好之身必安之、君好之、民必欲之、心以体全、亦以体傷、君以民存、亦以民亡。
書き下し
子曰く、民は君を以て心と為し、君は民を以て体と為す。心荘なれば則ち体舒び、心粛なれば則ち容敬す。心之を好めば身必ず之に安んじ、君之を好めば民必ず之を欲す。心は体を以て全く、亦た体を以て傷つく。君は民を以て存し、亦た民を以て亡ぶ。
現代語訳
孔子は言いました。「民は君を心とし、君は民を体とする。心が荘重であれば体はのびやかになり、心が引き締まれば姿は慎み深くなる。心が好むことには体は必ず安んじて従い、君が好むことは民も必ず欲しがる。心は体によって全うされ、体によって傷つけられもする。君は民によって存続し、民によって滅びもする。」
解説
『礼記』緇衣篇の、君主と民の関係を心と体にたとえた一節です。緇衣は、子曰で始まる孔子の言葉を連ねた篇です。心が穏やかであれば体も伸びやかになり、心が引き締まれば姿も整う。君が好むことを民も必ず求め、心は体によって完全になるが、体によって傷つくこともあり、君は民によって存続し、民によって滅びる、と続きます。組織に置き換えると、経営者の好みや口癖が、現場の振る舞いをそのまま映すという話になります。現場の疲弊や不正は、頭脳にあたる経営の姿勢とつながっている、と読めます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
君民心体緇衣上行下効存亡
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