群書治要 / 『群書治要』春秋左氏傳・敵の民をどう扱うか
十三年、季平子立、而不禮於南蒯。南蒯以費叛、叔弓圍費、弗克、敗焉、平子怒令見費人、執之以為囚俘。冶區夫曰:非也、若見費人、寒者衣之、饑者食之為之令主、而共其乏困、費來如歸、南氏亡矣。民將叛之、誰與居邑、若憚之以威、懼之以怒、民疾而叛、為之聚也。若諸侯皆然、費人無歸、不親南氏、將焉入乎。平子從之、費人叛南氏。
新字:十三年、季平子立、而不礼於南蒯。南蒯以費叛、叔弓囲費、弗克、敗焉、平子怒令見費人、執之以為囚俘。冶区夫曰:非也、若見費人、寒者衣之、饑者食之為之令主、而共其乏困、費来如帰、南氏亡矣。民将叛之、誰与居邑、若憚之以威、懼之以怒、民疾而叛、為之聚也。若諸侯皆然、費人無帰、不親南氏、将焉入乎。平子従之、費人叛南氏。
書き下し
十三年、季平子立ちて、南蒯に礼せず。南蒯、費を以て叛く。叔弓、費を囲むも克たず、敗る。平子怒り、費人を見れば、之を執えて以て囚俘と為さしむ。冶区夫曰く、非なり。若し費人を見ば、寒き者には之に衣せ、飢うる者には之に食わせ、之が令主と為りて、其の乏困を供せば、費の来ること帰するが如く、南氏亡びん。民将に之に叛かんとす、誰と邑に居らん。若し之を憚らすに威を以てし、之を懼れしむるに怒りを以てせば、民疾みて叛き、之が為に聚まるなり。若し諸侯皆然らば、費人帰する無く、南氏に親しまず、将に焉くにか入らんとす。平子之に従い、費人、南氏に叛く。
現代語訳
十三年、季平子が家を継ぐと、南蒯を礼遇しませんでした。南蒯は費の邑で反乱を起こし、叔弓が費を囲みましたが勝てず、敗れました。平子は怒り、費の人を見かけたら捕らえて囚人にするよう命じました。冶区夫は言いました。「いけません。費の人を見かけたら、寒そうな者には衣を着せ、飢えた者には食べさせ、彼らの良き主となって困窮を助けるべきです。そうすれば費の人は故郷に帰るように戻り、南氏は滅びます。民が南氏に背けば、誰と邑に居るというのでしょう。もし威力で脅し、怒りで恐れさせれば、民は苦しんで背き、かえって南氏のもとに集まります。諸侯が皆そのようにすれば、費の人は行き場がなく、南氏にも親しまず、どこへ入るでしょう。」平子はこれに従い、費の人は南氏に背きました。
解説

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『春秋左氏伝』昭公十三年 費人、南氏に叛く十三年春、叔弓費を圍み、克たずして焉に敗る。平子怒り、費人を見れば之を執へて、以って囚俘と為さしむ。冶區夫曰く、「非なり。若し費人を見ば、寒ゆる者は之に衣せ、飢うる者は之に食はせ、之が令主と為りて、其の乏困に共せば、費の來ること歸するが如くにして、南氏亡びん。民將に之に叛かんとす、誰と與にか邑に居らん。若し之を憚らすに威を以ってし、之を懼れしむるに怒りを以ってせば、民疾みて叛き、之が為に聚まらん。若し諸侯皆然らば、費人歸する無く、南氏に親しまずんば、將た焉くにか入らん」と。平子之に從ふ。費人南氏に叛く。
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