群書治要 / 『群書治要』尚書・吉凶を分けるのは徳の一貫
非天私我有商、惟天祐于一德、非商求于下民、惟民歸于一德、德惟一、動罔弗吉、德二三、動罔弗凶、惟吉凶不僭在人、惟天降災祥在德。
新字:非天私我有商、惟天祐于一徳、非商求于下民、惟民帰于一徳、徳惟一、動罔弗吉、徳二三、動罔弗凶、惟吉凶不僭在人、惟天降災祥在徳。
書き下し
天の我が有商を私するに非ず、惟れ天は一徳を祐く。商の下民に求むるに非ず、惟れ民は一徳に帰す。徳惟れ一なれば、動けば吉ならざる罔く、徳二三なれば、動けば凶ならざる罔し。惟れ吉凶は僭わずして人に在り、惟れ天の災祥を降すは徳に在り。
現代語訳
天が我が商(殷)だけをひいきしたのではありません。天は、徳が一つに揃っているものを助けるのです。商が民に何かを求めたのではありません。民は、一貫した徳に身を寄せるのです。徳が一つであれば、行動して吉でないことはなく、徳が二つ三つとぶれれば、行動して凶でないことはありません。吉凶は間違いなく人の側にあり、天が災いや幸いを降すのも、その人の徳によるのです。
解説
『尚書』咸有一德は、政権を太甲に返して引退するにあたり、殷の宰相伊尹が戒めた言葉とされます。天が殷をひいきしたのではなく、徳が一つに揃っていたから天が助け、民も帰したのだと述べます。徳が一貫していれば何をしても吉となり、二転三転すれば何をしても凶となる。吉凶は人の側にあり、天が災いや幸いを降すのも徳によると続きます。方針や言動がぶれない上司に人がついていくのは、この理屈と重なります。判断基準をころころ変える経営者は、策を重ねても信頼を積めません。自分の軸が一貫しているかを確かめる手がかりになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
一徳二三吉凶徳一貫信頼
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