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艮斎閑話抄録 / 浩然の気を養い義を行う人々

鳶の者ども鳶口を揮ふて四車を擊しかば、刎かへりて透らずと、老人の話にて聞り、其氣の壯強なる知べし、況や聖賢道義を以て涵養し盛大流行の氣に至りては、東坡の所謂卒然遇之、賁育失其勇、良平失其智、蘇張失其辨、とは能形容せし妙文と謂べし、士君子常に此氣を養ひ充實すれば、強健の人の寒暑を畏れず風雨を厭はず、險難の地を嫌はざる如く、義理を行ふに當りて猶豫せず、決然と行ふを得るなり、此氣の不足なる人は、虛弱の人寒暑風雨を畏れて縮退する如く、義理を行ふに力薄し、孔子所謂見義不爲無勇也と、此樣なる人を指、浩然の氣は大勇のとにて、踏張づよき勢ありて、道義を行ふに苦勞無を云なり、漢士には高風淸節の士、越の范蠡、漢の張良、唐の李泌の類、功成名遂て世を避し人多し、吾邦にても中納言藤房後醍醐帝に忠節を盡し、廟謨を翼賛し、北條氏を亡ぼし、天下の大功を立玉ひしが、後に 帝其諫言を用ひ玉はざるに因て、飄然として都を去、雲踪杳然、其終る所を知ざるは希世の名賢なり、先年伊豆の熱海の溫泉に浴せし時、村中を逍遙せしに溫泉寺と云寺あり、此寺授翁和尙の開基なり、授翁は即藤房卿にて、庭中の松其手植なりと住持の僧語られき、寺に澤元愷の記文あり、記中にも此事を載たり、公卿の位を棄て僻落山水の間に隱れ玉ひしは、范蠡にも譲らざる尊き人なり、竹中半兵衞重治は美濃の人にて、豐臣氏に從がひ帷幕の謀主として、凡秀吉の戰功雄略は重治の翼贊せし所なり、

新字:鳶の者ども鳶口を揮ふて四車を撃しかば、刎かへりて透らずと、老人の話にて聞り、其気の壮強なる知べし、況や聖賢道義を以て涵養し盛大流行の気に至りては、東坡の所謂卒然遇之、賁育失其勇、良平失其智、蘇張失其弁、とは能形容せし妙文と謂べし、士君子常に此気を養ひ充実すれば、強健の人の寒暑を畏れず風雨を厭はず、険難の地を嫌はざる如く、義理を行ふに当りて猶予せず、決然と行ふを得るなり、此気の不足なる人は、虚弱の人寒暑風雨を畏れて縮退する如く、義理を行ふに力薄し、孔子所謂見義不為無勇也と、此様なる人を指、浩然の気は大勇のとにて、踏張づよき勢ありて、道義を行ふに苦労無を云なり、漢士には高風清節の士、越の范蠡、漢の張良、唐の李泌の類、功成名遂て世を避し人多し、吾邦にても中納言藤房後醍醐帝に忠節を尽し、廟謨を翼賛し、北条氏を亡ぼし、天下の大功を立玉ひしが、後に 帝其諫言を用ひ玉はざるに因て、飄然として都を去、雲踪杳然、其終る所を知ざるは希世の名賢なり、先年伊豆の熱海の温泉に浴せし時、村中を逍遥せしに温泉寺と云寺あり、此寺授翁和尚の開基なり、授翁は即藤房卿にて、庭中の松其手植なりと住持の僧語られき、寺に沢元愷の記文あり、記中にも此事を載たり、公卿の位を棄て僻落山水の間に隠れ玉ひしは、范蠡にも譲らざる尊き人なり、竹中半兵衛重治は美濃の人にて、豊臣氏に従がひ帷幕の謀主として、凡秀吉の戦功雄略は重治の翼賛せし所なり、

書き下し

鳶の者ども鳶口を揮ふて四車を擊しかば、刎かへりて透らずと、老人の話にて聞り、其氣の壯強なる知べし、況や聖賢道義を以て涵養し盛大流行の氣に至りては、東坡の所謂卒然遇之、賁育失其勇、良平失其智、蘇張失其辨、とは能形容せし妙文と謂べし、士君子常に此氣を養ひ充實すれば、強健の人の寒暑を畏れず風雨を厭はず、險難の地を嫌はざる如く、義理を行ふに當りて猶豫せず、決然と行ふを得るなり、此氣の不足なる人は、虛弱の人寒暑風雨を畏れて縮退する如く、義理を行ふに力薄し、孔子所謂見義不爲無勇也と、此樣なる人を指、浩然の氣は大勇のとにて、踏張づよき勢ありて、道義を行ふに苦勞無を云なり、漢士には高風淸節の士、越の范蠡、漢の張良、唐の李泌の類、功成名遂て世を避し人多し、吾邦にても中納言藤房後醍醐帝に忠節を盡し、廟謨を翼賛し、北條氏を亡ぼし、天下の大功を立玉ひしが、後に 帝其諫言を用ひ玉はざるに因て、飄然として都を去、雲踪杳然、其終る所を知ざるは希世の名賢なり、先年伊豆の熱海の溫泉に浴せし時、村中を逍遙せしに溫泉寺と云寺あり、此寺授翁和尙の開基なり、授翁は即藤房卿にて、庭中の松其手植なりと住持の僧語られき、寺に澤元愷の記文あり、記中にも此事を載たり、公卿の位を棄て僻落山水の間に隱れ玉ひしは、范蠡にも譲らざる尊き人なり、竹中半兵衞重治は美濃の人にて、豐臣氏に從がひ帷幕の謀主として、凡秀吉の戰功雄略は重治の翼贊せし所なり、

現代語訳

鳶の者たちが鳶口を振るって四台の車を打ったところ、跳ね返って通らなかったと、老人の話に聞きました。それほど人の気は強いものだと分かります。まして、聖人賢人の道義によって養われ、盛大に行きわたった気となれば、蘇東坡(宋の文人)が言う「突然これに出会えば、賁・育(古代の勇士、孟賁と夏育)も勇を失い、張良・陳平も知恵を失い、蘇秦・張儀も弁舌を失う」とは、よく言い表した妙文と言うべきです。士君子が常にこの気を養い充実させれば、丈夫な人が寒さ暑さを恐れず、風雨を嫌わず、険しい地を避けないように、義理を行う場面でためらわず、きっぱり行えます。この気が足りない人は、虚弱な人が寒暑風雨を恐れて縮こまるように、義理を行う力が弱いのです。孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったのは、このような人を指します。浩然の気は大勇のことで、踏ん張りの強い勢いがあり、道義を行うのに苦労がないことを言います。中国には、高潔で清らかな節操の士として、越の范蠡、漢の張良、唐の李泌のように、功を成し名を遂げて世を避けた人が多くいます。わが国でも、中納言藤房(万里小路藤房)は後醍醐帝に忠節を尽くし、朝廷の謀を助けて北条氏を滅ぼし、天下に大功を立てられましたが、のちに帝がその諫言を用いなかったため、ふらりと都を去り、行方も分からず、その最期も知られていません。世に稀な名賢です。先年、伊豆の熱海の温泉に入った折、村の中を散策すると温泉寺という寺がありました。この寺は授翁和尚の開基で、授翁は藤房卿のことであり、庭の松は卿の手植えだと住職の僧が語りました。寺には沢元愷の記文があり、その中にもこの事が載っています。公卿の位を捨てて山水の間に隠れなさったのは、范蠡にも劣らない尊い人です。竹中半兵衛重治は美濃の人で、豊臣氏に従い、陣中の謀主として、およそ秀吉の戦功や大きな策略は重治が助けたものでした。

解説

義を見て動けるかどうかは、日ごろ養った気の強さで決まる、という話です。筆者は丈夫な人が寒暑を恐れないように、気の充実した人は迷わず義理を行えると述べ、功成って身を引いた藤房らを例に挙げます。背景には、道義に基づく気概こそ人の核だという儒学の見方があります。現代の管理職も、不正や理不尽を前に黙ってしまう場面があります。必要なのは勢いではなく、普段から判断の拠り所を磨いておくことです。日々の小さな正しい判断を積み、いざという時に迷わず動ける体力をつけましょう。

この章句が説くこと

艮斎閑話抄録安積艮斎浩然の気義理大勇藤房

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