艮斎閑話抄録 / 外国との戦いに見る覚悟と士気
李如松は名將李成梁の子にて、北邊にては屢戰功を顯はし、一世の名將と稱せられたる者なれども、吾國の勇武に敵し難く、一戰大敗僅に身を以て免かれ、數萬の精兵を失なひ、神氣沮喪し徹夜痛哭し、疾と稱し代りを請、亟に遁去、吾國武勇の盛りなるかくの如し、尤此時吾將士は百戰鍊磨の餘なれども、一體日出の國東方精華の氣の萃まる所、人物雄毅英武忠直の風、所謂大和魂なる者は、萬古變ずるとなく、國內の戰爭とは違ひ、外國との戰ひなれば見苦しく敗走して六十餘州總體の恥辱となるを深く恥て、皆身命を棄、英名を身後に留めんと覺悟せしなり、此時の戰ひに小早川隆景は我渡海するより吾國に還る心なし、明兵と戰ふて屍を戰塲に曝は老年の幸なりと云り、立花宗茂も前夜に兵士に向ふて、明日は十死一生の戰ひと思ひ定めたり、皆も其心得あるべしと云り、かく必死を極めて戰ひしは、外國との戰ひは日本國の榮辱に關係すればなり、雄毅英武忠直の風は吾國の美俗にて、萬古不磨の士氣なれば、益ゝ鼓舞振勵して、武備を精練し、邦家を守るべきなり、
新字:李如松は名将李成梁の子にて、北辺にては屡戦功を顕はし、一世の名将と称せられたる者なれども、吾国の勇武に敵し難く、一戦大敗僅に身を以て免かれ、数万の精兵を失なひ、神気沮喪し徹夜痛哭し、疾と称し代りを請、亟に遁去、吾国武勇の盛りなるかくの如し、尤此時吾将士は百戦錬磨の余なれども、一体日出の国東方精華の気の萃まる所、人物雄毅英武忠直の風、所謂大和魂なる者は、万古変ずるとなく、国内の戦争とは違ひ、外国との戦ひなれば見苦しく敗走して六十余州総体の恥辱となるを深く恥て、皆身命を棄、英名を身後に留めんと覚悟せしなり、此時の戦ひに小早川隆景は我渡海するより吾国に還る心なし、明兵と戦ふて屍を戦塲に曝は老年の幸なりと云り、立花宗茂も前夜に兵士に向ふて、明日は十死一生の戦ひと思ひ定めたり、皆も其心得あるべしと云り、かく必死を極めて戦ひしは、外国との戦ひは日本国の栄辱に関係すればなり、雄毅英武忠直の風は吾国の美俗にて、万古不磨の士気なれば、益ゝ鼓舞振励して、武備を精練し、邦家を守るべきなり、
書き下し
李如松は名將李成梁の子にて、北邊にては屢戰功を顯はし、一世の名將と稱せられたる者なれども、吾國の勇武に敵し難く、一戰大敗僅に身を以て免かれ、數萬の精兵を失なひ、神氣沮喪し徹夜痛哭し、疾と稱し代りを請、亟に遁去、吾國武勇の盛りなるかくの如し、尤此時吾將士は百戰鍊磨の餘なれども、一體日出の國東方精華の氣の萃まる所、人物雄毅英武忠直の風、所謂大和魂なる者は、萬古變ずるとなく、國內の戰爭とは違ひ、外國との戰ひなれば見苦しく敗走して六十餘州總體の恥辱となるを深く恥て、皆身命を棄、英名を身後に留めんと覺悟せしなり、此時の戰ひに小早川隆景は我渡海するより吾國に還る心なし、明兵と戰ふて屍を戰塲に曝は老年の幸なりと云り、立花宗茂も前夜に兵士に向ふて、明日は十死一生の戰ひと思ひ定めたり、皆も其心得あるべしと云り、かく必死を極めて戰ひしは、外國との戰ひは日本國の榮辱に關係すればなり、雄毅英武忠直の風は吾國の美俗にて、萬古不磨の士氣なれば、益ゝ鼓舞振勵して、武備を精練し、邦家を守るべきなり、
現代語訳
李如松は名将李成梁の子で、北の辺境ではたびたび戦功を立て、一世の名将と称された者ですが、我が国の勇武には敵わず、一戦で大敗し、わずかに身一つで逃れ、数万の精兵を失い、気力を失って夜通し痛哭し、病と称して交代を願い出て、急いで逃げ去りました。我が国の武勇の盛んなことはこのようです。もっとも、このときの我が将士は百戦鍛錬を重ねていましたが、そもそも日の出る国は東方の精華の気が集まる所で、人物は雄毅・英武・忠直の風があり、いわゆる大和魂は永遠に変わりません。国内の戦争とは違い外国との戦いですから、見苦しく敗走して六十余州全体の恥辱となることを深く恥じ、みな身命を棄てて、英名を死後に残そうと覚悟したのです。このときの戦いで小早川隆景は「私は海を渡ったときから日本に帰る心はない。明兵と戦って屍を戦場にさらすのは老年の幸いである」と言いました。立花宗茂も前夜に兵士に向かって「明日は十死一生の戦いと思い定めた。皆もその心得でいてほしい」と言いました。このように必死を極めて戦ったのは、外国との戦いは日本国の栄辱に関わるからです。雄毅・英武・忠直の風は我が国の美風であり、永遠に消えることのない士気ですから、ますます鼓舞し奮い立たせ、武備を鍛え磨いて、国家を守るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十七年 余皇を奪い返す吳楚を伐つ。陽匄令尹為り。戰を卜して吉ならず。司馬子魚曰く、「我上流を得たり。何の故に吉ならざる。且つ楚の故、司馬龜に令す。我請ふ改めて卜せん」と。令して曰く、「魴や、其の屬を以て之に死せん。楚師之に繼ぎ、尚はくは大いに之に克たん」と。吉なり。長岸に戰ふ。子魚先づ死す。楚師之に繼ぎ、大いに吳師を敗り、其の乘舟餘皇を獲たり。隨人と後れて至る者とをして之を守らしむ。環りて之に塹し、泉に及ぶ。其の隧に炭を盈たし、陳して以て命を待つ。吳の公子光其の衆に請ひて曰く、「先王の乘舟を喪ふは、豈に唯だ光の罪のみならんや。衆も亦た焉に有り。請ふ藉りて之を取り、以て死を救はん」と。衆許す。長鬣なる者三人をして、舟の側に潛伏せしめて曰く、「我皇と呼ばば則ち對へよ」と。師夜之に從ふ。三たび呼べば皆迭ひに對ふ。楚人從ひて之を殺す。楚師亂る。吳人大いに之を敗り、餘皇を取りて以て歸る。
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司馬法・用眾任を棄て食を節す、是れを人の意を開くと謂う。古よりの政なり。
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『講孟余話』公孫丑上 第二章「孟施舎の勇を養ふ所や」。此の章浩然の気を論ず、其の論甚だ盛大雄偉なり。北宮黝・孟施舎の勇の如きは固より言ふに足らず。但し孟施舎の勇は、武士戦場に向ふ時は角こそ有り度きことなり、因りて其の略を言はん。無懼の二字是れ主なり。勇気敵を呑むと云ふ如く、百万の大敵目に余ると雖も、屑ともせぬことなり。死を知れば必ず勇と云へば、打死と覚悟さへ定まりたれば、大敵猛勢も畏るるに足ることなし。然れども此の勇を養ひて大になさざれば、仮令覚悟定まりたれども、勇気敵を呑む所なし、未だ孟施舎の勇を語るに足らず。孟施舎の如き者一人陣中にあれば、惣軍の気是れが為に大いに増盛し、敗軍も転じて勝軍となる者なり。此の人一人国中にあれば、闔国の気是れが為に増盛し、弱国も転じて強国となる者なり。況や此の人を挙げて将帥の任となすに於てをや。強将の下弱兵なきこと必せり。士安ぞ茲に志さざるべけんや。
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戦国策・秦二・甘茂攻宜陽甘茂宜陽を攻む、三たび之を鼓するも卒上らず。秦の右將に尉有り對えて曰わく、「公兵を論ぜずんば、必ず大いに困しまん。」甘茂曰わく、「我羇旅にして秦に相たるを得る者は、我宜陽を以て王に餌するなり。今宜陽を攻めて拔かずんば、公孫衍・樗里疾我を內に挫き、公中韓を以て我を外に窮せしめん。是れ伐つの日無きのみ。請う明日之を鼓するも下すべからずんば、因りて宜陽の郭を以て墓と為さん。」是に於いて私金を出だして以て公賞を益す。明日之を鼓し、宜陽拔く。
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『長短経』教戦卒服習し、器用利なれば、将軍乃ち旄を秉り衆を麾きて之に誓う〔有虞氏は国に誡め、夏后氏は軍に誓い、殷は軍門の外に誓う。周は将に刃を交えんとして之に誓う。誓う所同じからず、吾は周に従う。之に誓いて曰く「嗚呼、溥天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し。今、某国は五行を威侮し、三正を怠棄す。我が有衆をして、恭しく天討を行わしむ。命を用うる者は、賞時を踰えず。逗撓する者は、誅列を遷さず。死生富貴、此の一挙に在り。嗟、爾庶士、各々乃の心を勉めよ」と〕。是に於て気は青雲を厲まし、湯に赴き火を蹈むと雖も、可なり。此れ教戦の法なり。
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。

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