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艮斎閑話抄録 / 実質を忘れ形式を慕う失策

天下の大勢を辨じ時宜に通ずるを要とす、侈大を好み、虛文を尙び、實禍を遺すは甚不可なり、譬ば古器物を愛し、大金を費し多く聚めたるとて今日の實用にならず、却て產を破る如し、昔し北魏の孝文帝は北朝の賢君にて仁孝恭儉、馮太后の爲に三年の喪を行ひ、大旱の時絕食にて雨を祈りしの類は漢の文帝以來一人なり、但中國の衣冠文物を慕ひ都を洛陽に遷せしは孝文の失計にて、北魏の勢は是より衰たり、拓跋氏は北狄より起り中國を過半攻取りしは、兵馬の精强士氣の勇悍に由るゆへなり、されば夷狄風俗の儘にて、紀綱を正し賞罰を明にせば、必しも中國の風を學に及ばず、殊に此時の中國は三代の中國に非ず、魏晉以來浮華輕薄の中國にて、夷狄の質樸剛强なる風俗に劣り、且つ洛陽は繁華の地にて風俗尤も柔弱なり、又四戰の衢にして要害の地に非ず、然るに孝文は數代建都の平城より洛陽に遷り、中國の衣冠を用ひ、胡語胡俗を禁じ、容觀は美なれども其實は大に害を生ぜり、諸大臣皆北地に生れし人ゆへ、洛陽の炎暑に堪へ乘て秋來りて春歸るゆへ鴈臣の稱あるに至る、是に因て太子恂北歸を思ふて遂に亂を作し、穆泰陸叡も舊土を戀ひ亂を作す、其他穆羆新興公丕の類皆樂まざる所なり、是より人心搖動し武威衰弱し、子孫昏惰權臣跋扈して滅亡に至るは、孝文の虛文を慕ふより起れり、

新字:天下の大勢を弁じ時宜に通ずるを要とす、侈大を好み、虚文を尚び、実禍を遺すは甚不可なり、譬ば古器物を愛し、大金を費し多く聚めたるとて今日の実用にならず、却て産を破る如し、昔し北魏の孝文帝は北朝の賢君にて仁孝恭倹、馮太后の為に三年の喪を行ひ、大旱の時絶食にて雨を祈りしの類は漢の文帝以来一人なり、但中国の衣冠文物を慕ひ都を洛陽に遷せしは孝文の失計にて、北魏の勢は是より衰たり、拓跋氏は北狄より起り中国を過半攻取りしは、兵馬の精強士気の勇悍に由るゆへなり、されば夷狄風俗の儘にて、紀綱を正し賞罰を明にせば、必しも中国の風を学に及ばず、殊に此時の中国は三代の中国に非ず、魏晋以来浮華軽薄の中国にて、夷狄の質樸剛強なる風俗に劣り、且つ洛陽は繁華の地にて風俗尤も柔弱なり、又四戦の衢にして要害の地に非ず、然るに孝文は数代建都の平城より洛陽に遷り、中国の衣冠を用ひ、胡語胡俗を禁じ、容観は美なれども其実は大に害を生ぜり、諸大臣皆北地に生れし人ゆへ、洛陽の炎暑に堪へ乗て秋来りて春帰るゆへ鴈臣の称あるに至る、是に因て太子恂北帰を思ふて遂に乱を作し、穆泰陸叡も旧土を恋ひ乱を作す、其他穆羆新興公丕の類皆楽まざる所なり、是より人心揺動し武威衰弱し、子孫昏惰権臣跋扈して滅亡に至るは、孝文の虚文を慕ふより起れり、

書き下し

天下の大勢を辨じ時宜に通ずるを要とす、侈大を好み、虛文を尙び、實禍を遺すは甚不可なり、譬ば古器物を愛し、大金を費し多く聚めたるとて今日の實用にならず、却て產を破る如し、昔し北魏の孝文帝は北朝の賢君にて仁孝恭儉、馮太后の爲に三年の喪を行ひ、大旱の時絕食にて雨を祈りしの類は漢の文帝以來一人なり、但中國の衣冠文物を慕ひ都を洛陽に遷せしは孝文の失計にて、北魏の勢は是より衰たり、拓跋氏は北狄より起り中國を過半攻取りしは、兵馬の精强士氣の勇悍に由るゆへなり、されば夷狄風俗の儘にて、紀綱を正し賞罰を明にせば、必しも中國の風を學に及ばず、殊に此時の中國は三代の中國に非ず、魏晉以來浮華輕薄の中國にて、夷狄の質樸剛强なる風俗に劣り、且つ洛陽は繁華の地にて風俗尤も柔弱なり、又四戰の衢にして要害の地に非ず、然るに孝文は數代建都の平城より洛陽に遷り、中國の衣冠を用ひ、胡語胡俗を禁じ、容觀は美なれども其實は大に害を生ぜり、諸大臣皆北地に生れし人ゆへ、洛陽の炎暑に堪へ乘て秋來りて春歸るゆへ鴈臣の稱あるに至る、是に因て太子恂北歸を思ふて遂に亂を作し、穆泰陸叡も舊土を戀ひ亂を作す、其他穆羆新興公丕の類皆樂まざる所なり、是より人心搖動し武威衰弱し、子孫昏惰權臣跋扈して滅亡に至るは、孝文の虛文を慕ふより起れり、

現代語訳

天下の大勢を見極め、時宜に通じることが肝要です。大きさや派手さを好み、中身のない飾りを尊び、実際の禍いを残すのは、たいへんよくありません。たとえば古い器物を愛して大金を費やして多く集めても、今日の実用にならず、かえって財産を損なうようなものです。昔、北魏の孝文帝は北朝の賢君で、仁孝で恭倹であり、馮太后のために三年の喪を行い、大旱魃のときには絶食して雨を祈るなど、漢の文帝以来の人物でした。ただ、中国の衣冠・文物を慕って都を洛陽に遷したのは孝文帝の失策で、北魏の勢いはこれから衰えました。拓跋氏は北方の異民族から起こって中国の過半を攻め取りましたが、それは兵馬が精強で士気が勇ましかったからです。ですから異民族の風俗のままで、規律を正し賞罰を明らかにすれば、必ずしも中国の風に学ぶ必要はありません。特にこの時代の中国は三代(夏・殷・周)の中国ではなく、魏晋以来の浮ついて軽薄な中国であり、異民族の質朴で剛強な風俗に劣っていました。また洛陽は繁華の地で風俗はもっとも柔弱であり、四方から攻められる地で要害の地ではありません。それなのに孝文帝は数代の都であった平城から洛陽に遷り、中国の衣冠を用い、胡語・胡俗を禁じました。見た目は美しいが、実際には大きな害を生みました。諸大臣はみな北の地に生まれた人でしたので、洛陽の炎暑に耐えられず、秋に来て春に帰るので「雁臣」と呼ばれるに至りました。これによって太子の恂は北に帰ろうと思って乱を起こし、穆泰・陸叡も旧土を恋しがって乱を起こしました。そのほか穆羆、新興公の丕などもみな楽しまなかったところです。これより人心が動揺して武威が衰え、子孫は愚かで怠惰になり、権臣が勢力をふるって滅亡に至ったのは、孝文帝が中身のない飾りを慕ったことから起こりました。

解説

時勢と実情を見極め、見た目や形式に流されて実質を損なうことを戒める章句です。北魏の孝文帝は、立派な人物でありながら、都の遷移や風習の改変によって人心の離反を招いたと説かれます。現代の管理職も、他社の流行の制度や華やかな看板を安易に取り入れ、自社の強みや現場の事情を損なう恐れがあります。変革の前に、それが本当に実用になるのか、現場が耐えられるのか、自分たちの強みを失わないかを確かめることが、組織の力を守る判断につながります。

この章句が説くこと

艮斎閑話抄録安積艮斎時宜虚文北魏孝文帝洛陽遷都

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