言志四録 / 言志晩録 第百二十七条 気運に常変有り
氣運有常變。常。是變之漸。不見痕迹。故謂之常。變。是漸之極。見痕迹。故謂之變。如春秋。是常。夏冬是變。以其漸與極也。人事常變。亦係氣運之常變。故當變革之時。天人齊變。有大賢出世。必又有大奸出世。以其變也。常漸之時。則於人亦無大賢奸。
新字:気運有常変。常。是変之漸。不見痕迹。故謂之常。変。是漸之極。見痕迹。故謂之変。如春秋。是常。夏冬是変。以其漸与極也。人事常変。亦係気運之常変。故当変革之時。天人斉変。有大賢出世。必又有大奸出世。以其変也。常漸之時。則於人亦無大賢奸。
書き下し
気運に常変有り。常は是れ変の漸にして、痕迹を見はさず。故に之を常と謂ふ。変は是れ漸の極にして、痕迹を見はす。故に之を変と謂ふ。春秋は是れ常、夏冬は是れ変なるが如し。其の漸と極とを以てなり。人事の常変も、亦気運の常変に係る。故に変革の時に当たりては、天人斉しく変ず。大賢の世に出づる有れば、必ず又大奸の世に出づる有り。其の変を以てなり。常漸の時は、則ち人に於ても亦大賢奸無し。
現代語訳
世の気運には平常と変動とがある。平常とは変動がじわじわと進んでいる段階であり、はっきりした痕跡を見せない。だからこれを常という。変動とはそのじわじわとした進行が極まった段階であり、痕跡をはっきり見せる。だからこれを変という。たとえば春と秋は常であり、夏と冬は変であるようなものだ。それは移り変わりの途中か、極みかによる。人間社会の常と変も、やはり気運の常と変にかかっている。それゆえ変革の時にあたっては、天も人もそろって変わる。大賢人が世に出れば、必ずまた大悪人も世に出る。それは変の時だからである。平常で緩やかに移る時には、人においても大賢人も大悪人も現れない。
解説
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