五行大義 / 第二十四論禽虫・第一者論五霊
第二十四論禽蟲就此分為二段:一者論五靈、二者論三十六禽。 凡含生蠢動。有知之數。莫不藉五氣而成性。資陰陽以立形。故有陸處水居。潛見道別。遊翔飛走。駑駿不同。皆由氣之清濁。稟性深淺。考異郵云。含牙戴角。著脰垂芒。皆爲陰也。陰有殺氣。故備有爪牙之毒。螫蠆之類也。飛翔羽翮。柔善之獸。皆爲陽也。陽有仁氣。無殺性也。家語云。齕吞者。八竅而卵生。齟𪚅者。九竅胎生。晝生似父。夜生類母。至陰者牝。至陽者牡。皆氣使然也。凡是蠢動之物。竝爲虫類。今略分三種。一曰禽。二曰獸。三曰虫。有羽飛者爲禽。有四足走者爲獸。無羽足者爲虫。至如蜉蝣之羽。蟭蟟之翼。飛𧊒百足。蚊蚋六手。此雖有羽足。猶是虫例。其朝生暮死。腐穢蠱溼。此皆因變化。隨類生者。亦竝虫也。考異郵云。虫入日而化微。故令促。又。鳥。魚。二名。於此二者。其號雖別。鳥則飛翔。卽是禽也。魚則潛游。虫之屬也。家語云。鳥。魚生於陰。而屬於陽。故皆卵生。魚游於水。鳥遊於雲。所以立冬則鷰雀入海。化而爲蛤。本其類也。
新字:第二十四論禽虫就此分為二段:一者論五霊、二者論三十六禽。 凡含生蠢動。有知之数。莫不藉五気而成性。資陰陽以立形。故有陸処水居。潜見道別。遊翔飛走。駑駿不同。皆由気之清濁。稟性深浅。考異郵云。含牙戴角。著脰垂芒。皆為陰也。陰有殺気。故備有爪牙之毒。螫蠆之類也。飛翔羽翮。柔善之獣。皆為陽也。陽有仁気。無殺性也。家語云。齕呑者。八竅而卵生。齟𪚅者。九竅胎生。昼生似父。夜生類母。至陰者牝。至陽者牡。皆気使然也。凡是蠢動之物。並為虫類。今略分三種。一曰禽。二曰獣。三曰虫。有羽飛者為禽。有四足走者為獣。無羽足者為虫。至如蜉蝣之羽。蟭蟟之翼。飛𧊒百足。蚊蚋六手。此雖有羽足。猶是虫例。其朝生暮死。腐穢蠱湿。此皆因変化。随類生者。亦並虫也。考異郵云。虫入日而化微。故令促。又。鳥。魚。二名。於此二者。其号雖別。鳥則飛翔。即是禽也。魚則潜游。虫之属也。家語云。鳥。魚生於陰。而属於陽。故皆卵生。魚游於水。鳥遊於雲。所以立冬則鷰雀入海。化而為蛤。本其類也。
書き下し
第二十四、禽虫を論ず。此に就きて分かちて二段と為す。一は五霊を論じ、二は三十六禽を論ず。 凡そ含生蠢動(がんせいしゅんどう)、知有るの数は、五気を藉(か)りて性を成し、陰陽に資(よ)りて以て形を立てざるは莫し。故に陸に処り水に居り、潜見道を別にし、遊翔飛走、駑駿同じからざる有り。皆気の清濁、稟性の深浅に由る。『考異郵』に云う、牙を含み角を戴き、脰(とう)を著し芒を垂るるは、皆陰と為す。陰に殺気有り、故に爪牙の毒を備え有り、螫蠆(せきたい)の類なり。飛翔羽翮(うかく)、柔善の獣は、皆陽と為す。陽に仁気有り、殺性無きなり、と。『家語』に云う、齕呑(こつどん)する者は八竅にして卵生し、齟𪚅する者は九竅にして胎生す。昼生まるるは父に似、夜生まるるは母に類す。至陰なる者は牝、至陽なる者は牡、皆気の然らしむるなり、と。凡そ是の蠢動の物は、並びに虫類と為す。今略して三種に分かつ。一に曰く禽、二に曰く獣、三に曰く虫。羽有りて飛ぶ者を禽と為し、四足有りて走る者を獣と為し、羽足無き者を虫と為す。蜉蝣(ふゆう)の羽、蟭蟟(しょうりょう)の翼、飛𧊒の百足、蚊蚋(ぶんぜい)の六手の如きに至りては、此れ羽足有りと雖も、猶お是れ虫の例なり。その朝に生じ暮に死し、腐穢蠱湿、此れ皆変化に因り、類に随いて生ずる者も、亦た並びに虫なり。『考異郵』に云う、虫は日に入りて化微なり、故に令(めい)促(せま)る、と。又た、鳥・魚の二名あり。此の二者に於いて、その号別なりと雖も、鳥は則ち飛翔す、即ち是れ禽なり。魚は則ち潜游す、虫の属なり。『家語』に云う、鳥・魚は陰に生じて陽に属す、故に皆卵生す。魚は水に游び、鳥は雲に遊ぶ。所以に立冬には則ち燕雀海に入りて、化して蛤と為る、と。その類に本づくなり。
現代語訳
第二十四段、禽虫を論じる。これを二つの節に分ける。一つは五霊を論じ、二つは三十六禽を論じる。 およそ命を持ってうごめくもの、知覚を持つものはみな、五つの気を借りて性質をなし、陰陽によって形を立てないものはない。だから陸に住むもの、水に住むもの、潜むもの、姿を現すものと道を異にし、泳ぐもの、飛ぶもの、走るものがあり、のろいものと速いものとが同じでない。みな受けた気の清濁と、授かった性質の深浅による。『考異郵』(『春秋考異郵』。漢代の緯書)はこう言う。牙を持ち角を戴くもの、首の目立つもの、とげを垂らすものは、みな陰である。陰には殺す気があるので、爪や牙の毒を備えており、刺す虫やサソリの類がそれである。空を飛び翼を持つもの、おとなしく穏やかな獣は、みな陽である。陽には仁の気があり、殺す性質がない、と。『孔子家語』はこう言う。噛まずに丸呑みするものは体の穴が八つで卵から生まれ、よく噛んで食べるものは体の穴が九つで胎から生まれる。昼に生まれたものは父に似て、夜に生まれたものは母に似る。陰の極みのものは雌となり、陽の極みのものは雄となる。みな気がそうさせるのである、と。およそこれらうごめく生き物は、すべて虫の類とされる。いまおおまかに三種に分ける。一は禽、二は獣、三は虫である。羽があって飛ぶものを禽とし、四本の足があって走るものを獣とし、羽も足もないものを虫とする。カゲロウの羽、セミの類の翼、ゲジのような百本の足、蚊やブヨの六本の脚などは、羽や足があっても、やはり虫の例に入る。朝に生まれて夕に死ぬもの、腐ったものや汚れ、湿りから湧くものなど、変化によって、類に応じて生じるものも、みな虫である。『考異郵』はこう言う。虫は日が暮れれば変化の力が衰えるので、命が短い、と。また鳥と魚という二つの名がある。この二つは呼び名は別であるが、鳥は空を飛ぶのですなわち禽であり、魚は水に潜って泳ぐので虫の仲間である。『孔子家語』はこう言う。鳥と魚は陰に生まれて陽に属するので、どちらも卵から生まれる。魚は水に泳ぎ、鳥は雲に遊ぶ。そのため立冬になると燕や雀は海に入って蛤に化す、と。これはそれぞれの類に基づいているのである。
解説
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