五行大義 / 第二十三論諸人・第二者論人遊年年立
遊年所至之卦。因三變之。一變爲禍害。再變爲絕命。三變爲生氣。生氣則吉。禍害。絕命則凶。吉則可就其方。凶則宜避其所。禍害者。以其相剋害也。如乾初九。甲子水。變成巽。巽初六。辛丑土。是飛辰來剋伏辰也。坎初六。戊寅木。變成兌。兌初九。丁巳火。是飛伏相害也。絕命者。以其卦體被剋制也。如震變爲兌。金剋木也。艮變爲巽。木剋土也。生氣者。以其相生同體也。如乾變成兌。體同金也。震變成離。木生火也。禍害。絕命。亦有厭行。以其卦所至相制者禳之。如衝火以避兵火。懸一柏木而攘震死。此竝五行相制之驗也。遊年。年立。卽是人之年命。皆配五行。故於此而釋之。
新字:遊年所至之卦。因三変之。一変為禍害。再変為絶命。三変為生気。生気則吉。禍害。絶命則凶。吉則可就其方。凶則宜避其所。禍害者。以其相剋害也。如乾初九。甲子水。変成巽。巽初六。辛丑土。是飛辰来剋伏辰也。坎初六。戊寅木。変成兌。兌初九。丁巳火。是飛伏相害也。絶命者。以其卦体被剋制也。如震変為兌。金剋木也。艮変為巽。木剋土也。生気者。以其相生同体也。如乾変成兌。体同金也。震変成離。木生火也。禍害。絶命。亦有厭行。以其卦所至相制者禳之。如衝火以避兵火。懸一柏木而攘震死。此並五行相制之験也。遊年。年立。即是人之年命。皆配五行。故於此而釈之。
書き下し
遊年の至る所の卦は、因りて三たび之を変ず。一変して禍害と為り、再変して絶命と為り、三変して生気と為る。生気は則ち吉、禍害・絶命は則ち凶なり。吉なれば則ちその方に就くべく、凶なれば則ち宜しくその所を避くべし。禍害とは、その相剋害するを以てなり。乾の初九は甲子の水、変じて巽と成れば、巽の初六は辛丑の土、是れ飛辰来たりて伏辰を剋するが如きなり。坎の初六は戊寅の木、変じて兌と成れば、兌の初九は丁巳の火、是れ飛伏相害するなり。絶命とは、その卦体の剋制せらるるを以てなり。震変じて兌と為るは、金の木を剋するなり。艮変じて巽と為るは、木の土を剋するなり、というが如し。生気とは、その相生・同体なるを以てなり。乾変じて兌と成るは、体同じく金なり。震変じて離と成るは、木の火を生ずるなり、というが如し。禍害・絶命にも亦た厭行(えんこう)有り。その卦の至る所を以て相制する者にて之を禳(はら)う。火を衝きて以て兵火を避け、一柏木を懸けて震死を攘(はら)うが如し。此れ並びに五行相制の験なり。遊年・年立は即ち是れ人の年命にして、皆五行に配す、故に此に於いて之を釈す。
現代語訳
遊年が行き着いた卦は、それにもとづいて三たび変化させる。一度変えると禍害となり、二度変えると絶命となり、三度変えると生気となる。生気は吉であり、禍害と絶命は凶である。吉であればその方角に向かってよく、凶であればその場所を避けるべきである。禍害とは、互いに剋し害するからそう呼ぶ。たとえば乾の初九(第一爻)は甲子で水にあたるが、変じて巽となると、巽の初六は辛丑で土にあたる。これは表に現れた飛辰(変じた卦の爻の干支)がやってきて、下に隠れた伏辰(もとの卦の爻の干支)を剋するのである。坎の初六は戊寅で木にあたるが、変じて兌となると、兌の初九は丁巳で火にあたる。これは飛辰と伏辰とが互いに害しあう(寅と巳の相害)のである。絶命とは、その卦の本体が剋され抑えられるからそう呼ぶ。たとえば震が変じて兌となるのは、金が木を剋するのであり、艮が変じて巽となるのは、木が土を剋するのである。生気とは、互いに生じあうか、本体が同じだからそう呼ぶ。たとえば乾が変じて兌となるのは、どちらも本体が金であり、震が変じて離となるのは、木が火を生じるのである。禍害と絶命にも、それを押さえる厭いの術がある。その卦の至った所に対して、それを制するものによってお祓いをする。たとえば火に向かって迎え撃つことで戦火を避け、一本の柏の木を懸けて雷に打たれて死ぬ災いを払う、といったことである。これらはみな、五行が互いに制しあうことの効き目である。遊年と年立は、人の年齢と運命にかかわるものであり、すべて五行に配されるので、ここで解説したのである。
解説
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五行大義・第二十三論諸人・第二者論人遊年年立八なれば則ち巽に在るも、巽は八を受けず、進みて離に就く、離は則ち是れ八なり。坤は即ち九、兌は即ち十。次を以て数え、一若し坤に至れば、坤は一を受けず、還り退きて離に就く。故に十数に至るまで、皆政方に在るなり。女の年一は、坎より右行し、亦た離の法の如し。艮は八を受けず、乾は一を受けず、皆坎に帰す。巽の八を受けず、坤の一を受けざる所以は、坤・巽は位に依りて並びに離宮を夾(はさ)む。巽は是れ陽位にして、進む義有りて終わる義無し。八は是れ卦の終数なり、故に之を受けず、前(すす)めて以て離に付す。坤は是れ陰位にして、陰は退く有りて進む無し。退けば則ち須らく滅すべし。敢えてその陽始の数に当たらず、故に退き譲りて離に就く。乾の一を受けず、艮の八を受けざるは、乾は是れ陽なり、又た天たり、自らその始に在り。始は是れ一の義なり。重ぬれば則ち数偶なり、数偶なれば則ち陰と成る。故に以て坎に付す。艮は是れ陰なり、艮は又た山たり、山は則ち是れ終わりなり。遊年は八卦を歴行し、卦は八に数う、終われば即ち止む。自らその終わり有れば、理として重ねて受けず、故に坎に付す。或るひと問いて云う、天一の行は、坎を以て一宮と為し、離を九宮と為す。八卦の遊年は、乃ち離を以て一宮と為すは、何ぞや、と。答えて曰く、天一は天下に於いて九州の事なり、故に始めの一より行く。遊年は人に於いて年命の事なり、故に終わりの九を以て命を起こす。女の遊年は坎よりす。男は徳を以て終始を苞(つつ)む、故に九・一並び数え、太陽の位に起こる。女は陰を以て陽を生ず、故にその創始の陰位より行く。坎の位は本一なり、数を受くること一より起こり、共に二と為る、陰数なり。
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