五行大義 / 第十四論雑配・第四論配蔵府
骨肉斃乎下。化爲野土。其氣發揚乎上。此神之著也。聖人因人物之情。而明命鬼神。以爲民。則燔燎羶薌。所以報氣也。薦黍稷。脩肺肝。加以鬱暢。所以報魄也。漢書。五行志云。人命終而形藏。精神散越。聖人爲之宗廟。以收魂氣。春秋祭祀。以修孝道。尸子曰。鬼。歸也。古者謂死人爲歸人。淮南子曰。人精神者。天之有也。骸骨者。地之有也。精氣入其門。而骸骨反其根。又云。天氣爲魂。地氣爲魄。禮記郊特牲云。凡祭慎諸此。魂氣歸乎天。形魄歸乎地。故祭求諸陰陽之義。故氣之清者曰神。卽陽魂也。氣之濁者曰鬼。卽陰魄也。延陵季子。葬其子於嬴博之間云。骨肉歸乎土。命也。魂氣無不之。越記云。王問范子曰。寡人聞失其魂魄者死。得其魂魄者生也。物皆有之。將人乎。范蠡對曰。魄者。囊也。魂者。生氣之源。又云。魂者。生氣之精。魄者。死氣之舍。韓詩云。溱洧有二水。三月上巳。鄭國常於此水上招魂續魄。左傳。昭二十五年。宋公讌。使叔孫昭子右坐。語相泣。樂祁子曰。今君與叔孫皆死乎。
新字:骨肉斃乎下。化為野土。其気発揚乎上。此神之著也。聖人因人物之情。而明命鬼神。以為民。則燔燎羶薌。所以報気也。薦黍稷。脩肺肝。加以鬱暢。所以報魄也。漢書。五行志云。人命終而形蔵。精神散越。聖人為之宗廟。以収魂気。春秋祭祀。以修孝道。尸子曰。鬼。帰也。古者謂死人為帰人。淮南子曰。人精神者。天之有也。骸骨者。地之有也。精気入其門。而骸骨反其根。又云。天気為魂。地気為魄。礼記郊特牲云。凡祭慎諸此。魂気帰乎天。形魄帰乎地。故祭求諸陰陽之義。故気之清者曰神。即陽魂也。気之濁者曰鬼。即陰魄也。延陵季子。葬其子於嬴博之間云。骨肉帰乎土。命也。魂気無不之。越記云。王問范子曰。寡人聞失其魂魄者死。得其魂魄者生也。物皆有之。将人乎。范蠡対曰。魄者。嚢也。魂者。生気之源。又云。魂者。生気之精。魄者。死気之舎。韓詩云。溱洧有二水。三月上巳。鄭国常於此水上招魂続魄。左伝。昭二十五年。宋公讌。使叔孫昭子右坐。語相泣。楽祁子曰。今君与叔孫皆死乎。
書き下し
骨肉は下に斃(たお)れ、化して野土と為る。その気は上に発揚す、此れ神の著(あらわ)れなり。聖人は人物の情に因りて、明らかに鬼神を命じ、以て民の則(のり)と為す。燔燎羶薌(はんりょうせんきょう)は、気に報ゆる所以なり。黍稷を薦め、肺肝を脩め、加うるに鬱暢(うっちょう)を以てするは、魄に報ゆる所以なり、と。『漢書』五行志に云う、人命終わりて形蔵し、精神散越す。聖人これが為に宗廟を為り、以て魂気を収め、春秋に祭祀して、以て孝道を修む、と。『尸子』に曰く、鬼は帰なり。古者(いにしえ)は死人を謂いて帰人と為す、と。『淮南子』に曰く、人の精神は、天の有なり。骸骨は、地の有なり。精気はその門に入りて、骸骨はその根に反る、と。又云う、天気を魂と為し、地気を魄と為す、と。『礼記』郊特牲に云う、凡そ祭は諸(これ)を此に慎む。魂気は天に帰し、形魄は地に帰す。故に祭は諸を陰陽に求むるの義なり、と。故に気の清める者を神と曰う、即ち陽の魂なり。気の濁れる者を鬼と曰う、即ち陰の魄なり。延陵季子(えんりょうきし)、その子を嬴博(えいはく)の間に葬りて云う、骨肉は土に帰するは、命なり。魂気は之かざる無し、と。『越記』に云う、王、范子に問いて曰く、寡人聞く、その魂魄を失う者は死し、その魂魄を得る者は生く、と。物皆これ有るか、将(は)た人のみか、と。范蠡(はんれい)対えて曰く、魄は囊(ふくろ)なり。魂は生気の源なり、と。又云う、魂は生気の精なり、魄は死気の舎なり、と。『韓詩』に云う、溱洧(しんい)に二水有り。三月上巳(じょうし)に、鄭国常に此の水上に於いて魂を招き魄を続ぐ、と。『左伝』昭二十五年に、宋公讌(えん)し、叔孫昭子をして右に坐せしむ。語りて相泣く。楽祁(がくき)子曰く、今君と叔孫とは皆死せんか。
現代語訳
(孔子は続けて言う。)骨と肉は下に倒れ、朽ちて野の土となる。その気は上に立ちのぼる。これが神の現れである。聖人は人と物の実情に従って、はっきりと鬼神の名を定め、民の手本とした。そこで薪を焚いて脂の香りを立ちのぼらせるのは、気に報いるためである。きびを供え、肺や肝を調えて供え、香草で香りづけした酒を加えるのは、魄に報いるためである、と。『漢書』五行志にはこうある。人の命が終わると形は隠れ、精神は散ってしまう。聖人はそのために宗廟を造って魂の気を収め、春と秋に祭祀を行って孝の道を修めた、と。『尸子』(戦国時代の尸佼の書)にはこうある。鬼とは帰(かえる)ことである。昔は死んだ人を帰人と呼んだ、と。『淮南子』にはこうある。人の精神は天のものであり、骸骨は地のものである。精気は天の門に入り、骸骨はその根である地に返る、と。またこうもある。天の気を魂とし、地の気を魄とする、と。『礼記』郊特牲にはこうある。およそ祭りはこの点に心を配る。魂の気は天に帰り、形と魄は地に帰る。だから祭りは陰陽の両方にそれを求めるという意味なのである、と。だから気の清らかなものを神といい、それはすなわち陽の魂である。気の濁ったものを鬼といい、それはすなわち陰の魄である。延陵季子(春秋時代の呉の公子、季札)は、わが子を嬴と博の地の間に葬って言った。骨と肉が土に帰るのは天命である。魂の気はどこへでも行かないところはない、と。『越記』(越の歴史を記した書)にはこうある。王が范子に問うた。わたしは、魂魄を失った者は死に、魂魄を得た者は生きると聞いている。物はみなそれを持っているのか、それとも人だけか、と。范蠡(越王勾践に仕えた臣)は答えた。魄は袋のようなものであり、魂は生きる気の源である、と。またこうも言う。魂は生きる気の精であり、魄は死の気の宿るところである、と。『韓詩』(漢代に伝わった『詩経』の一派)にはこうある。溱水と洧水という二つの川がある。三月最初の巳の日に、鄭の国ではいつもこの川のほとりで魂を招き、魄をつなぎとめた、と。『左伝』昭公二十五年にはこうある。宋公が酒宴を開き、叔孫昭子を右に座らせた。語り合ううちに互いに泣いた。楽祁が言った。いまわが君と叔孫とは、ともに死ぬのではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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