五行大義 / 第十四論雑配・第四論配蔵府
心之精爽。是謂魂魄。魂魄去之。何以能久。此並明人身有魂魄二别。老子經云。魂藏肝。魄藏肺者。魂既屬天。天氣爲陽。陽主善。尚左。居肝。在東方。木位。魄既屬地。地氣爲陰。陰主惡。尚右。故居肺。在西方。金位。老子云。吉事尚左。凶事尚右。亦云。五氣藏於心。五味藏於胃者。此論氣。則是陽。以藏受之。心爲火藏。陽氣所處。味則是陰。以府受之。胃爲五穀之府。味之所處。心主精神。胃主受納。不乖魂魄陰陽之理。又云。魂有三。魄有七者。陽數奇。陰數偶。奇數始於一。一則元氣。魂雖是陽。非曰始元。一後次三。故魂數三。又云。因天地二氣合而生人。人又一氣。三材各一氣。故魂有三。陰數二。二亦陰之始。魄雖是陰。又非元始。次二後四。陰不孤立。必資於陽。就魂之三。合而成七。又一解云。魂在東方。取震數三。魄居西方。取兌數七。三魂七魄。合而爲十。是應天五行。地五行。兩五合爲十。共成人也。五是天五氣。地五味也。春秋緯云。人感十而生。故十月方生也。又云。魂有五。魄有六者。此乃道家三皇經。以五藏神爲五魂。六府神爲六魄。此亦五行六氣之義也。魂魄。人之本。既配府藏。故釋之。甲乙云。魂屬精。魄屬神。
新字:心之精爽。是謂魂魄。魂魄去之。何以能久。此並明人身有魂魄二別。老子経云。魂蔵肝。魄蔵肺者。魂既属天。天気為陽。陽主善。尚左。居肝。在東方。木位。魄既属地。地気為陰。陰主悪。尚右。故居肺。在西方。金位。老子云。吉事尚左。凶事尚右。亦云。五気蔵於心。五味蔵於胃者。此論気。則是陽。以蔵受之。心為火蔵。陽気所処。味則是陰。以府受之。胃為五穀之府。味之所処。心主精神。胃主受納。不乖魂魄陰陽之理。又云。魂有三。魄有七者。陽数奇。陰数偶。奇数始於一。一則元気。魂雖是陽。非曰始元。一後次三。故魂数三。又云。因天地二気合而生人。人又一気。三材各一気。故魂有三。陰数二。二亦陰之始。魄雖是陰。又非元始。次二後四。陰不孤立。必資於陽。就魂之三。合而成七。又一解云。魂在東方。取震数三。魄居西方。取兌数七。三魂七魄。合而為十。是応天五行。地五行。両五合為十。共成人也。五是天五気。地五味也。春秋緯云。人感十而生。故十月方生也。又云。魂有五。魄有六者。此乃道家三皇経。以五蔵神為五魂。六府神為六魄。此亦五行六気之義也。魂魄。人之本。既配府蔵。故釈之。甲乙云。魂属精。魄属神。
書き下し
心の精爽(せいそう)、是れを魂魄と謂う。魂魄これを去らば、何を以て能く久しからん、と。此れ並びに人身に魂魄の二別有るを明らかにす。『老子経』に云う、魂は肝に蔵し、魄は肺に蔵すとは、魂は既に天に属し、天気は陽たり。陽は善を主り、左を尚(たっと)び、肝に居る。東方に在り、木の位なり。魄は既に地に属し、地気は陰たり。陰は悪を主り、右を尚ぶ、故に肺に居る。西方に在り、金の位なり。老子云う、吉事は左を尚び、凶事は右を尚ぶ、と。亦云う、五気は心に蔵し、五味は胃に蔵すとは、此れ気を論ずれば、則ち是れ陽なり、蔵を以てこれを受く。心は火の蔵たり、陽気の処る所なり。味は則ち是れ陰なり、府を以てこれを受く。胃は五穀の府たり、味の処る所なり。心は精神を主り、胃は受納を主る。魂魄陰陽の理に乖(そむ)かず。又云う、魂に三有り、魄に七有りとは、陽の数は奇、陰の数は偶なり。奇数は一に始まる。一は則ち元気なり。魂は是れ陽なりと雖も、始元と曰うに非ず。一の後は次に三、故に魂の数は三なり。又云う、天地の二気合して人を生じ、人又一気なり。三材各々一気、故に魂に三有り、と。陰の数は二、二も亦陰の始めなり。魄は是れ陰なりと雖も、又元始に非ず。二を次ぎて後は四。陰は孤立せず、必ず陽に資る。魂の三に就きて、合して七を成す。又一解に云う、魂は東方に在り、震の数三を取る。魄は西方に居り、兌の数七を取る。三魂七魄、合して十と為る。是れ天の五行、地の五行に応じ、両五合して十と為り、共に人を成すなり、と。五は是れ天の五気、地の五味なり。『春秋緯』に云う、人は十に感じて生ず、故に十月にして方(まさ)に生まる、と。又云う、魂に五有り、魄に六有りとは、此れ乃ち道家の『三皇経』に、五蔵の神を以て五魂と為し、六府の神を六魄と為す。此れ亦五行六気の義なり。魂魄は人の本なり、既に府蔵に配す、故にこれを釈す。『甲乙』に云う、魂は精に属し、魄は神に属す、と。
現代語訳
(楽祁は続けて言った。)心の精気の明らかなもの、これを魂魄という。魂魄が去ってしまえば、どうして長くいられようか、と。これらはいずれも、人の身には魂と魄の二つの区別があることを明らかにしている。『老子経』に、魂は肝に蔵され、魄は肺に蔵されるというのは、魂はもともと天に属し、天の気は陽だからである。陽は善をつかさどり、左を尊び、肝に住む。東方にあり、木の位置である。魄はもともと地に属し、地の気は陰である。陰は悪をつかさどり、右を尊ぶので、肺に住む。西方にあり、金の位置である。老子は、めでたい事は左を尊び、凶事は右を尊ぶ、と言っている。また、五つの気は心に蔵され、五つの味は胃に蔵されるとも言う。これは、気について論じれば陽であって、臓でそれを受ける。心は火の臓であり、陽の気のとどまるところである。味は陰であって、腑でそれを受ける。胃は五穀の腑であり、味のとどまるところである。心は精神をつかさどり、胃は受け入れることをつかさどる。これは魂魄と陰陽の理に背かない。また、魂は三つあり、魄は七つあるとも言う。陽の数は奇数、陰の数は偶数である。奇数は一から始まる。一は元気(万物のもとの気)である。魂は陽ではあるが、始まりの元とは言えない。一の後は次が三であるから、魂の数は三である。またこうも言う。天と地の二つの気が合わさって人を生み、人もまた一つの気である。天・地・人の三才がそれぞれ一つの気であるから、魂は三つある、と。陰の数は二であり、二もまた陰の始まりである。魄は陰ではあるが、やはり始まりの元ではない。二の次は四である。陰は独りでは立たず、必ず陽に頼る。そこで魂の三に合わせて七となる。また別の解釈ではこう言う。魂は東方にあり、震(しん)の卦の数三をとる。魄は西方にあり、兌(だ)の卦の数七をとる。三つの魂と七つの魄を合わせて十となる。これは天の五行と地の五行に応じており、二つの五が合わさって十となり、ともに人をつくりあげるのである、と。五とは天の五つの気と、地の五つの味である。『春秋緯』(『春秋』に付された緯書)には、人は十に感じて生まれる、だから十か月たってようやく生まれる、とある。また、魂は五つ、魄は六つあるとも言う。これは道家の『三皇経』(道教の経典)が、五臓の神を五魂とし、六腑の神を六魄としたものである。これもまた五行と六気の意味である。魂魄は人の根本であり、すでに臓腑に配したので、ここに解き明かした。『甲乙経』には、魂は精に属し、魄は神に属する、とある。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府心は神を蔵すとは、神は神明照了を以て義と為す。心は能く万事を明了するを言う。神は是れ身の君、火に象る、已に前の解の如し。腎は精を蔵すとは、精は精霊叡智を以て称と為す。亦是れ精智の気なり。腎の水は智巧なり、故に精焉(ここ)に蔵す。脾は志を蔵すとは、脾の土は四行を総ぶるを主り、趣向する所多し。志は心願趣向を以て目と為す、故に脾に蔵す。肝は魂を蔵すとは、魂は運動を以て名と為す。肝は是れ少陽、陽の性は運動す。木の性は仁、故に魂も亦善を主る。故に肝に蔵す。肺は魄を蔵すとは、魄は相著くを以て名と為す。肺は少陰たり、陰の性は恬静なり。金は殺を主り、魄も又悪を主る、故に以てこれを蔵す。五蔵の主る所は、乃ち神・精・志・魂・魄の五種を以てす。陰陽に就いて論ずれば、唯だ二別有るのみ。陽を魂と曰い、陰を魄と曰う。河上公の『章句』に云う、五気の清微なるは、精神・聡明・音声・五性と為る。その鬼を魂と曰う。魂は雄なり。鼻より出入することを主り、天と通ず。五味の濁溽(だくじょく)なるは、形骸・骨肉・血脈・六情と為る。その鬼を魄と曰う。魄は雌なり。口より出入し、地と通ず、と。『家語』に曰く、宰我(さいが)、孔子に問いて曰く、鬼神の名を聞くも、その謂う所を知らず、と。孔子曰く、人生まれて気有り。魂気は神の盛んなるものなり。魄気は鬼の盛んなるものなり。人生まれて死有り、死すれば必ず土に帰す、此れこれを鬼と謂う。魂気は天に帰す、此れこれを神と謂う。鬼と神とを合わせてこれを享(まつ)るは、教えの至りなり。
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五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府骨肉は下に斃(たお)れ、化して野土と為る。その気は上に発揚す、此れ神の著(あらわ)れなり。聖人は人物の情に因りて、明らかに鬼神を命じ、以て民の則(のり)と為す。燔燎羶薌(はんりょうせんきょう)は、気に報ゆる所以なり。黍稷を薦め、肺肝を脩め、加うるに鬱暢(うっちょう)を以てするは、魄に報ゆる所以なり、と。『漢書』五行志に云う、人命終わりて形蔵し、精神散越す。聖人これが為に宗廟を為り、以て魂気を収め、春秋に祭祀して、以て孝道を修む、と。『尸子』に曰く、鬼は帰なり。古者(いにしえ)は死人を謂いて帰人と為す、と。『淮南子』に曰く、人の精神は、天の有なり。骸骨は、地の有なり。精気はその門に入りて、骸骨はその根に反る、と。又云う、天気を魂と為し、地気を魄と為す、と。『礼記』郊特牲に云う、凡そ祭は諸(これ)を此に慎む。魂気は天に帰し、形魄は地に帰す。故に祭は諸を陰陽に求むるの義なり、と。故に気の清める者を神と曰う、即ち陽の魂なり。気の濁れる者を鬼と曰う、即ち陰の魄なり。延陵季子(えんりょうきし)、その子を嬴博(えいはく)の間に葬りて云う、骨肉は土に帰するは、命なり。魂気は之かざる無し、と。『越記』に云う、王、范子に問いて曰く、寡人聞く、その魂魄を失う者は死し、その魂魄を得る者は生く、と。物皆これ有るか、将(は)た人のみか、と。范蠡(はんれい)対えて曰く、魄は囊(ふくろ)なり。魂は生気の源なり、と。又云う、魂は生気の精なり、魄は死気の舎なり、と。『韓詩』に云う、溱洧(しんい)に二水有り。三月上巳(じょうし)に、鄭国常に此の水上に於いて魂を招き魄を続ぐ、と。『左伝』昭二十五年に、宋公讌(えん)し、叔孫昭子をして右に坐せしむ。語りて相泣く。楽祁(がくき)子曰く、今君と叔孫とは皆死せんか。
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五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府『白虎通』に又云う、木の浮かぶ所以、金の沈む所以は何ぞや。子は母に生ずるの義なり。肝の以て沈み、肺の以て浮かぶは何ぞや。知有る者はその母を尊ぶなり、と。一説に云う、甲木は金を畏れ、乙を以て庚に妻(めあ)わせ、庚の化を受く。木はその本に法(のっと)り、甲に直(あた)る、故に浮かぶ。肝はその化に法り、乙に直る、故に沈む。庚金は火を畏れ、辛を以て丙に妻わせ、丙の化を受く。金はその本に法り、庚に直る、故に沈む。肺はその化に法り、辛に直る、故に浮かぶ、と。河上公(かじょうこう)の『老子』に注して云う、肝は魂を蔵し、肺は魄を蔵し、心は神を蔵し、腎は精を蔵し、脾は志を蔵す。五蔵尽く傷つけば、則ち五神去る、と。『道経義』に云う、魂は肝に居り、魄は肺に在り、神は心に処り、精は腎に蔵し、志は脾に託す、と。此れ『素問』と同じ。魂は木の気たり、神は火の気たり、志は土の気たり、魄は金の気たり、精は水の気たり。魂は目に通じ、神は舌に通じ、志は口に通じ、魄は鼻に通じ、精は耳に通ず。『甲乙経』に云う、鼻は肺の官たり、目は肝の官たり、口唇は脾の官たり、舌は心の官たり、耳は腎の官たり。故に肺病めば、喘息し、鼻張る。肝病めば、目閉じ、眥(まなじり)青し。脾病めば、口唇黄にして乾く。心病めば、舌巻きて短く、顔赤し。腎病めば、権(ほお)と顔と黒黄にして、耳聾す、と。此れを五官と名づく。相書に亦五候と名づく。鼻・人中を以て一官と為し、心を主る。余は並びに同じ。候とは、五蔵の善悪の色、五官に出づるを以て、吉凶を占候すべきなり。鼻・人中は、猶お是れ口の分のごときなり。
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『淮南子』精神訓夫れ精神なる者は、天に受くる所なり。而して形體なる者は、地に稟くる所なり。故に曰く、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず、と。萬物は陰を背にして陽を抱き、沖氣以て和を為す。故に曰く、一月にして膏、二月にして胅、三月にして胎、四月にして肌、五月にして筋、六月にして骨、七月にして成り、八月にして動き、九月にして躁ぎ、十月にして生まる、と。形體以て成りて、五臟乃ち形る。是の故に肺は目を主り、腎は鼻を主り、膽は口を主り、肝は耳を主る。外を表と為し內を裡と為し、開閉張歙、各々經紀有り。故に頭の圓きは天に象り、足の方なるは地に象る。天に四時・五行・九解・三百六十六日有り、人も亦た四支・五藏・九竅・三百六十六節有り。天に風雨寒暑有り、人も亦た取與喜怒有り。故に膽を雲と為し、肺を氣と為し、肝を風と為し、腎を雨と為し、脾を雷と為し、以て天地と相い參わる。而して心 之が主と為る。是の故に耳目なる者は、日月なり。血氣なる者は、風雨なり。日中に踆烏有りて、月中に蟾蜍有り。日月 其の行を失えば、薄蝕して光無し。風雨 其の時に非ざれば、毀折して災を生ず。五星 其の行を失えば、州國 殃を受く。夫れ天地の道は、至って紘くして以て大なるも、尚お猶お其の章光を節し、其の神明を愛しむ。人の耳目、曷ぞ能く久しく熏勞して息わざらんや。精神 何ぞ能く久しく馳騁して既きざらんや。是の故に血氣なる者は、人の華なり。而して五藏なる者は、人の精なり。
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行人は天地の変化を受けて生ず。一月にして膏(こう)し、二月にして脈し、三月にして胞(ほう)し、四月にして肌し、五月にして筋し、六月にして骨し、七月にして形を成し、八月にして動き、九月にして躁(さわ)ぎ、十月にして生まる。形骸已(すで)に成りて、五蔵乃ち形(あら)わる。外を表と為し、中を裏と為す。頭の員(まる)きは天に法(のっと)り、足の方なるは地に象る。天に四時・五行・九星・三百六十日有り、人も亦た四支・五蔵・九竅(きゅうきょう)・三百六十節有り。天に風雨寒暑有り、人も亦た喜怒哀楽有り。『淮南子』及び『文子』並びに云う、胆を雲と為し、肺を気と為し、脾を風と為し、腎を雨と為し、肝を電と為し、天と相類して、心を主と為す。耳目は日月なり、気血は風雨なり、と。『素問』に云う、夫れ人は天地に法る。故に聖人は上は天に配して以て頭を養い、下は地に象りて以て足を養い、中は人事に傍(よ)りて以て五蔵を養う。天気は肺に通じ、地気は咽(いん)に通じ、風気は肝に通じ、雷気は心に通じ、穀気は脾に通じ、雨気は腎に通ず。六経を川と為し、腸胃を海と為し、九竅を水と為す。天の紀に法り、地の理を用うれば、則ち災禍去る、と。『左慈相決』に云う、人の頭の員きは以て天に法り、足の方なるは以て地に象る。左目を日と為し、右目を月と為し、左眉を青竜と為し、右眉を白虎と為し、鼻を勾陣(こうちん)と為し、伏犀(ふくさい)を朱雀と為し、玉枕(ぎょくちん)を玄武と為す、と。又た云う、前を朱雀と為し、後を玄武と為し、左を青竜と為し、右を白虎と為す、是を四体と曰う。頭を勾陳と為す、是れ身の主なり、と。又た曰く、左耳の後を太山と為し、右耳の後を華山と為し、額を衡山と為し、頂の後を恒山と為し、鼻を嵩高山(すうこうざん)と為す、と。『相秘訣』に云う、
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五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府心は主守の官たり、神明出づとは、火は南方、陽光輝き、人君の象なり。神は身の君たり、君の南向して以て治むるが如し。易は離を以て火と為し、太陽の位に居る、人君の象なり。人の運動、情性の作(おこ)り、心に由らざるは莫し。故に主守の官たり、神明の出づる所なり。脾は倉廩の官たり、五味出づとは、万物生ずれば則ち土より出で、死すれば亦これに帰す。五穀の入るは、脾以てこれを受く。故に五味の出づるも、亦此に由るなり。肺は相傅の官たり、治節出づとは、金は能く裁断す。相傅の任は、治道に明らかにして、上下順教し、皆礼節有り。肺は五蔵に於いて、亦治節の生ずる所なり。『楽緯』に云う、商は章なり。臣は君の徳を章明して、以て上下を斉う、と。相傅の賢の由る所なり。腎は作強の官たり、伎巧出づとは、水の性は是れ智、智は必ず多能なり、故に伎巧有り。功は則ち自ら強めて息まざるなり。『八十一問』に曰く、蔵は各々一有り、腎独り両なるは何ぞや。左は腎、右は命門なり。命門は精神の会する所なり、と。『河図』に云う、肝・心は左に出で、脾・肺は右に出づ。腎と命門とは、並びに尺部に出づ、と。此れ脈候なり。問いて曰く、前の解に云う、腎は陰、故に双なりと。今左は腎、右は命門と言う。此れ豈に自ら乖張せざらんや。答えて曰く、命門と腎とは、名異にして形同じ。水の蔵にして則ち体質殊ならず、故に双なり。陰数を主るなり。名と為せば、則ち左右両つながら別れ、故に各々主る所有り。猶お三焦・膀胱の、倶に是れ水の府にして、両号を妨げざるがごとし。『老子経』及び『素問』に云う、
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