言志四録 / 言志耋録 第三百三十九条 臨歿の誠意
誠意。是終身工夫。一息尙存。有一息之意。臨歿只要澹然無累。即是臨歿之誠意。
新字:誠意。是終身工夫。一息尚存。有一息之意。臨歿只要澹然無累。即是臨歿之誠意。
書き下し
誠意は是れ終身の工夫なり。一息尚ほ存すれば、一息の意有り。歿するに臨みては只だ澹然として累無きを要す。即ち是れ臨歿の誠意なり。
現代語訳
意を誠にすることは、一生を通じての修養である。息が一つでも残っていれば、その一息分の意(心の動き)がある。死に臨んでは、ただあっさりとして何のわずらいもないことが大切である。それがそのまま、死に臨んでの誠意である。
解説
『大学』の八条目の一つ「誠意」、すなわち意を誠にすることは、生涯続く工夫だと説く一条です。息が一つでもあれば一息分の意があり、その意を誠にする努めは最期まで終わらない。そして死に臨んでは、澹然として心に何のわずらいもないこと、それこそが臨終の誠意だと言います。一一五九条の「一息尚ほ存すれば」と同じ言葉が使われ、生涯の修養と死の迎え方が一つにつながっています。本条は『言志耋録』の結びに近く、八十歳の一斎が自らの最期を見据えて書いた言葉と読めます。終わりまで自分の心に誠実であり続けることの意味を、静かに考えさせる条です。
この章句が説くこと
誠意大学死生工夫澹泊
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