言志四録 / 言志耋録 第三百四十条 全くして之を帰す
吾軀。父母全而生之。當全而歸之。臨歿時。莫有他念。唯謝君父大恩而瞑。是之謂全終。
新字:吾躯。父母全而生之。当全而帰之。臨歿時。莫有他念。唯謝君父大恩而瞑。是之謂全終。
書き下し
吾が軀は、父母全くして之を生む。当に全くして之を帰すべし。歿するに臨む時、他念有ること莫く、唯だ君父の大恩を謝して瞑す。是れを之れ終りを全うすと謂ふ。
現代語訳
わが身体は、父母が欠けるところなく完全なものとして生んでくれたものである。だから完全なまま父母のもとへ返さなければならない。死に臨むときには、ほかに何も思うことなく、ただ主君と父母から受けた大きな恩に感謝して目を閉じる。これを「終わりを全うする」というのである。
解説
『言志耋録』の最後に置かれた一条です。「父母全くして之を生み、子全くして之を帰す」は『礼記』祭義に曾子の教えとして見える言葉で、『孝経』の「身体髪膚、之を父母に受く、敢へて毀傷せざるは孝の始めなり」とも通じます。直前の数条で一斎は、死を昼夜や呼吸と同じ尋常の事とみなし、臨終には澹然として累いなきことを求めてきました。その締めくくりに、身を損なわずに生き終え、恩への感謝だけを抱いて瞑目することを「全終」と名づけたのです。四十二歳から八十歳過ぎまで書き継いだ四録の結びとして、老儒の静かな覚悟が読み取れます。長く務めた役目や組織を離れるとき、何を返し、何に感謝して区切りをつけるのかを考える手がかりにもなる一条です。
この章句が説くこと
全終孝報恩臨終死生観感謝
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