言志四録 / 言志耋録 第三百三十三条 子に厳にして孫に慈
親道在慈。人概嚴於子。而慈於孫。何也。葢其嚴於子者。以責善之切而然。乃慈也。其慈於孫也。以其有代我以責善者。故只見其慈耳。祖先之於子孫。其情葢亦相遞爾歟。
新字:親道在慈。人概厳於子。而慈於孫。何也。葢其厳於子者。以責善之切而然。乃慈也。其慈於孫也。以其有代我以責善者。故只見其慈耳。祖先之於子孫。其情葢亦相逓爾歟。
書き下し
親の道は慈に在り。人概ね子に厳にして孫に慈なるは何ぞや。蓋し其の子に厳なる者は、善を責むるの切なるを以て然り、乃ち慈なり。其の孫に慈なるや、其の我に代りて以て善を責むる者有るを以てなり。故に只だ其の慈を見るのみ。祖先の子孫に於ける、其の情蓋し亦相逓ふるか。
現代語訳
親の道は慈しみにある。人がおおむね我が子には厳しく、孫には甘いのはなぜか。思うに、我が子に厳しいのは、善を求める気持ちが切実だからそうなるのであって、それもまた慈しみである。孫に甘いのは、自分に代わって孫に善を求める者(孫の親である我が子)がいるからである。だから孫に対してはただ慈しみだけが表に出るのである。祖先の子孫に対する情も、思うにこのように代々順に受け渡されていくのであろうか。
解説
子には厳しく孫には甘いという、誰もが知る人情の理由を解き明かした一条です。子に厳しいのは善を求める思いが切実だからで、それ自体が慈しみの現れである。孫に甘いのは、自分に代わって善を責める者、すなわち孫の親がいるからだと言います。『孟子』には、父子の間で善を責めると情が離れるので、古人は子を易えて教えたという話があり、一斎の考察はそれを踏まえつつ三代の関係に広げています。厳しさと甘さは別の感情ではなく、役割の違いから出る同じ慈しみだという見方は、上司と上司の上司が部下に接する役割分担を考えるうえでも示唆的です。
この章句が説くこと
慈親子責善家族教育
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集法・新怨を以て舊恩を忘るる勿かれ小嫌を似て至戚を疏んずる毋かれ、新怨を以て舊恩を忘るる勿かれ。
-
言志四録・言志晩録 第二百三十一条 李英公、姉の為に粥を煮る兄弟友愛する者は之れ有り。姉妹に於ては則ち或いは否ず。傲侮して以て順ならざること勿れ。李英公の姉の為に粥を煮る、学ぶべし。
-
『幽夢影』巻下・以て難しと爲すべきも法と爲すべからず九世同居は誠に盛事爲り、然れども止だ當に割股・廬墓の者と一例と作して看るべし。以て難しと爲すべきも、以て法と爲すべからざるなり。
-
『酔古堂剣掃』集靈・骨肉の變に處しては從容たるべし父兄骨肉の變に處しては、宜しく從容たるべく、宜しく激烈なるべからず。 朋友交游の失に遇ひては、宜しく剴切なるべく、宜しく優游なるべからず。
-
『忍経』五世同居張全翁言ふ、潞州に一農夫有り、五世同居す。太宗并州を討ち、其の舍を過ぎ、其の長を召し、之に訊ねて曰く、「若何の道ありて此に至る」と。對へて曰く、「臣他無し、唯だ能く忍ぶのみ」と。太宗以て然りと爲す。
-
『忍経』處家貴寬容古より人倫は賢否相雜る。或いは父子皆な賢なる能はず、或いは兄弟皆な令なる能はず、或いは夫流蕩し、或いは妻悍暴なり。一家の中に此の患無き者は少し。聖賢と雖も亦之を如何ともする無し。譬へば身に瘡痍疣贅有るが如し。甚だ惡むべしと雖も、決し去るべからず。唯だ當に寬懷もて之に處すべし。若し人能く此の理を知らば、則ち胸中泰然たらん。古人の所謂父子兄弟夫婦の間、人の言ひ難き所の者は、此くの如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る