言志四録 / 言志耋録 第三百二十四条 吾が軀は即ち親なり
親歿之後。吾軀即親也。我之養生。即是養親之遺。不可認做自私。
新字:親歿之後。吾躯即親也。我之養生。即是養親之遺。不可認做自私。
書き下し
親歿するの後は、吾が軀は即ち親なり。我の養生は、即ち是れ親の遺を養ふなり。認めて自私と做すべからず。
現代語訳
親が亡くなった後は、自分の体がそのまま親である。自分が養生することは、すなわち親の残したものを養うことである。これを自分のための私事と思ってはならない。
解説
親を亡くした後、自分の体こそが親そのものだと説く一条です。『礼記』祭義には「身は父母の遺体なり」とあり、ここでの「遺体」とは親が遺した体、つまり子の身体のことです。一斎はこの考えに立ち、親亡き後の養生は親の遺したものを養うことであって、自分一人のための私事ではないと言います。一一五六条の「守身の孝」や一一五七条の公私の別とも一連の考えです。自分の体を自分だけのものと思わず、受け継いだものとして扱うという発想は、預かった組織や仕事、受け継いだ技や信用をどう扱うかを考えるときにも通じるものがあるでしょう。
この章句が説くこと
孝養生守身公私
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