言志四録 / 言志耋録 第三百十七条 公私の差は毫髪に在り
養生出於私。則養飜招害。出於公。則養實成養。公私之差在毫髮。
新字:養生出於私。則養翻招害。出於公。則養実成養。公私之差在毫髪。
書き下し
養生、私に出づれば、則ち養は翻つて害を招く。公に出づれば、則ち養は実に養を成す。公私の差は毫髪に在り。
現代語訳
養生が私心から出たものであれば、養生はかえって害を招く。公の心から出たものであれば、養生は本当に養生となる。公と私の差は、髪の毛一本ほどのわずかなところにある。
解説
同じ養生でも、動機が私か公かによって結果が正反対になるという一条です。自分が長生きしたい、楽をしたいという私心から出る養生は、執着となって度を越し、かえって害を招く。一方、父母から受けた身を守る孝として、また天から与えられた務めを果たすために身を保つという公の心から出れば、それは本当の養生になる。前条の「守身の孝」がまさにその公の例です。しかもその差は毫髪、ごくわずかだと言います。同じ行為でも何のためにするかで意味が変わるという洞察は、自己研鑽や休養が自分のためだけか、果たすべき役割のためかを問い直すきっかけになります。
この章句が説くこと
養生公私動機心術
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