言志四録 / 言志耋録 第三百十八条 凡そ事は過度なるべからず
凡事不可過度。人道固然。即此亦養生。
書き下し
凡そ事は過度なるべからず。人道固より然り。即ち此れも亦養生なり。
現代語訳
およそ物事は度を越してはならない。人の道としてもともとそうである。そしてこれがそのまま養生でもある。
解説
度を越さないことが人の道であり、同時に養生でもあるという、短くも一斎の養生論の要をなす一条です。儒学では『中庸』に説かれるように、過ぎたるも及ばざるも道から外れるとします。一斎はこの倫理の原則が、そのまま体の養い方にも当てはまると言います。一一四九条の「已甚しきを為さず」、一一五四条の「節度を得れば」と同じ考えを、より一般的な形で言い切ったものです。道徳と健康を別の領域とせず、一つの原理で貫いて見るところに一斎の思想の特徴があります。働きすぎも怠けすぎも、成果と健康の両方を損なうという点で、日々の働き方を考える基準になるでしょう。
この章句が説くこと
中庸節度人道養生
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