言志四録 / 言志耋録 第二百八十条 義合は即ち天合
邦俗養子承後。雖出於不得已。於道亦不妨。堯以舜爲婿。以天下傳之。戴記有虞氏祖顓頊而宗堯。是則類於養子承後。況乎邦俗貴賤皆然。義合卽是天合。不可謂無此理。
新字:邦俗養子承後。雖出於不得已。於道亦不妨。堯以舜為婿。以天下伝之。戴記有虞氏祖顓頊而宗堯。是則類於養子承後。況乎邦俗貴賤皆然。義合即是天合。不可謂無此理。
書き下し
邦俗の養子承後は、已むを得ざるに出づと雖も、道に於ても亦妨げず。堯は舜を以て婿と為し、天下を以て之に伝ふ。戴記に、「有虞氏は顓頊を祖として堯を宗とす」と。是れ則ち養子承後に類す。況んや邦俗は貴賤皆然り。義合は即ち是れ天合なり。此の理無しと謂ふ可からず。
現代語訳
わが国の風習である、養子を迎えて家を継がせることは、やむを得ない事情から出たものではあるが、道理の上からも差し支えはない。堯は舜を娘婿とし、天下を彼に譲った。『礼記』(戴記)に「有虞氏(舜)は顓頊を祖とし、堯を宗とした」とある。これはつまり養子が家を継ぐのに似ている。まして、わが国の風習では身分の上下を問わず皆そうしている。義によって結ばれた関係は、すなわち天によって結ばれた関係である。この道理がないとは言えない。
解説
儒学の本場中国では、血のつながらない異姓の者を養子として家を継がせることは礼に反するとされがちでした。しかし日本では武家も町人も広く養子で家を継ぎます。一斎はこれを道に反しないと弁護し、堯が娘婿の舜に天下を譲り、『礼記』祭法篇が舜の家系について堯を「宗」としたと記すことを根拠に挙げます。そして「義合は即ち是れ天合なり」、義によって結ばれた縁は天の結んだ縁と同じだと言い切ります。中国の礼をそのまま移さず、日本の実情に即して経書を読み直す一斎の姿勢がよく表れています。血縁や出自ではなく、志と責任を受け継ぐことに継承の本質を見る考え方は、事業承継を考えるうえでも示唆的です。
この章句が説くこと
養子家督相続義合継承礼
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