言志四録 / 言志耋録 第二百七十条 目を瞑りて言を聴く
心事必見於面相與言語。欲知人之邪正。當先瞑目聽其言語。然後開目觀其面相。兩相比照。以察其心事。若是則庶乎無愛憎之偏。
新字:心事必見於面相与言語。欲知人之邪正。当先瞑目聴其言語。然後開目観其面相。両相比照。以察其心事。若是則庶乎無愛憎之偏。
書き下し
心事は必ず面相と言語とに見る。人の邪正を知らんと欲せば、当に先づ目を瞑りて其の言語を聴き、然る後に目を開きて其の面相を観、両つながら相比照して、以て其の心事を察すべし。是くの若くならば、則ち愛憎の偏無きに庶からん。
現代語訳
心の内は必ず顔つきと言葉に表れる。人の心が邪か正かを知ろうとするなら、まず目を閉じてその人の言葉を聴き、その後で目を開いて顔つきを観察し、両者を照らし合わせて、その心の内を察するべきである。このようにすれば、好き嫌いによる偏りはほぼなくなるだろう。
解説
人の心は顔つきと言葉に必ず表れる。だから人を見るには、まず目を閉じて言葉だけを聴き、次に目を開けて顔つきを観て、両者を突き合わせよ、と一斎は具体的な方法を示します。目を開けたまま聴けば、容貌や表情の印象に引きずられて、言葉の中身を公平に聞けません。感覚を分けて確かめ、あとで照らし合わせることで、好悪の偏りを減らそうという工夫です。孟子の「其の言を聴きて其の眸子を観る」を踏まえつつ、より手順化しています。第一印象や見た目に左右されやすい採用面接や評価の場面で、情報の受け取り方を意識的に分けてみるという発想は、今でも試す価値があるでしょう。
この章句が説くこと
人を見る目観察愛憎の偏言語面相
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