言志四録 / 言志耋録 第二百六十三条 功利の二字
功利二字。固非不好字面。因民之所利而利之。則虞廷亦以功稱禹。但以謀與計爲病而已。學者審之。
新字:功利二字。固非不好字面。因民之所利而利之。則虞廷亦以功称禹。但以謀与計為病而已。学者審之。
書き下し
功利の二字は、固より好からざる字面に非ず。民の利とする所に因りて之を利すれば、則ち虞廷も亦功を以て禹を称す。但だ謀と計とを以て病と為すのみ。学者之を審かにせよ。
現代語訳
「功利」という二字は、もともと悪い字面ではない。民が利益とするところに従って民を利するのであれば、舜の朝廷でも功績をもって禹を称えたのである。ただ、策謀やはかりごとによって功利を求めることが弊害なのである。学ぶ者はこのことをよく見きわめよ。
解説
儒学では「功利」の語がしばしば卑しまれますが、一斎は、功も利もそれ自体は悪い言葉ではないと言います。論語の「民の利とする所に因りて之を利す」のように、民の利益に沿って利をはかるのは政治の本分であり、舜の朝廷でも治水の功をもって禹を称えました。問題は、はかりごとや打算で功利を追うことだというのです。朱子学が義利の弁を厳しく立てるなか、一斎は言葉の表面ではなく動機と方法を問うべきだと釘を刺しています。成果や利益を語ることを避ける必要はありません。誰の利益を、どんな手段で求めているのか。その問いを手放さないことが、利益追求を健全に保つ条件になるのでしょう。
この章句が説くこと
功利義利の弁民の利動機成果
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