言志四録 / 言志耋録 第二百三十四条 道理は根株、数理は枝葉
西洋窮理。形而下之數理。周易窮理。形而上之道理。道理。譬則根株也。數理。譬則枝葉也。枝葉自根株生。能得其根株。則枝葉從之。窮理者宜自易理而入也。
新字:西洋窮理。形而下之数理。周易窮理。形而上之道理。道理。譬則根株也。数理。譬則枝葉也。枝葉自根株生。能得其根株。則枝葉従之。窮理者宜自易理而入也。
書き下し
西洋の窮理は、形而下の数理なり。周易の窮理は、形而上の道理なり。道理は、譬へば則ち根株なり。数理は、譬へば則ち枝葉なり。枝葉は根株より生ず。能く其の根株を得れば、則ち枝葉之に従ふ。窮理する者は宜しく易理より入るべし。
現代語訳
西洋の窮理(学問)は、形あるものについての数理である。周易の窮理は、形を超えたものについての道理である。道理はたとえれば根や幹であり、数理はたとえれば枝や葉である。枝葉は根幹から生じる。その根幹をつかめば、枝葉はおのずとそれに従う。理を窮めようとする者は、易の理から入るべきである。
解説
西洋の学問と易の学問を、形而下と形而上、枝葉と根株に分けて位置づけた一条です。「形而上」「形而下」は易の繋辞伝の言葉で、形を超えた道と形ある器を言います。蘭学が広まり、西洋の天文や医学、砲術の精密さが知られていた時代に、一斎はそれを否定せず、数理として認めたうえで、その根にある道理は易に求めるべきだとしました。門下から佐久間象山が出て「東洋道徳、西洋芸術」を唱えたことを思うと、この区別の影響がうかがえます。技術や手法を学ぶことと、その根にある目的や原理を問うことの順序をどう考えるか、今でも通じる問いです。
この章句が説くこと
窮理易西洋本末道理
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