言志四録 / 言志耋録 第二百三十二条 有数の数と無数の数
有數之數。迹也。無數之數。理也。邵子則以有數之數。說無數之數。皇極經世。恐未免抅泥。
新字:有数之数。迹也。無数之数。理也。邵子則以有数之数。説無数之数。皇極経世。恐未免抅泥。
書き下し
有数の数は、迹なり。無数の数は、理なり。邵子は則ち有数の数を以て、無数の数を説く。皇極経世は、恐らくは拘泥を免れず。
現代語訳
数えられる数は、現れた跡である。数えられない数は、道理である。邵子(北宋の儒者邵雍)は数えられる数によって、数えられない数を説こうとした。その著『皇極経世書』は、おそらく(数に)とらわれすぎるきらいを免れていない。
解説
北宋の儒者邵雍の数理的な宇宙論に対する批評です。邵雍は『皇極経世書』で、易の数を用いて天地の始まりから終わりまでを元・会・運・世という年数で割り付け、歴史の循環を計算しようとしました。一斎は、数えられる数は現象の跡にすぎず、その背後にある数えられない数こそが理であると区別し、跡の数で理を説こうとした邵雍は数に拘泥していると見ます。数を否定するのではなく、数で表せるものと表せないものの順序を問題にしているのです。後の条で西洋の数理と易の道理を比べる議論にもつながります。数値目標や指標で組織を動かすとき、数字の背後にあるものを見ているかを考える材料になります。
この章句が説くこと
数理道理易思考本質
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