孟子 / 離婁章句上
孟子曰、不孝有三。無後為大。舜不告而娶、為無後也。君子以為猶告也。
書き下し
孟子曰く、「不孝に三有り。後無きを大なりと為す。舜の告げずして娶るは、後無きが為なり。君子以て猶ほ告ぐるがごとしと為す。」
現代語訳
孟子は言った。 「不孝には三つあるが、中でも一番大きな不孝は後継ぎがなく家を絶やすことである。舜が親に告げずに妻を娶ったのは、礼には外れているが、家を絶やすことを恐れた為であったので、後世の識者はその舜の行為を、同意を得たも同じだと見なしたのである。」
解説
規則や形式を守ることは大切ですが、状況によっては、より大きな目的や大切な価値観を守るために柔軟な判断が求められることがあります。舜が親に無断で結婚したのは形式上は不孝とされますが、家を存続させるというより大きな孝行を果たすためのやむを得ない選択でした。現代社会でも、マニュアルやルールに縛られすぎず、その背後にある本当の目的や本質を見極め、状況に応じた最善の選択をすることが重要です。
この章句が説くこと
本質柔軟な判断大局観目的志向
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