言志四録 / 言志耋録 第二百三十条 著書は我が中心を伝ふ
寫眞遺於後。傳我外貌。或有不似。儘醜儘美。亦烏乎害。著書貽於後。傳我中心。或有不當。自誤誤人。可不愼乎。
新字:写真遺於後。伝我外貌。或有不似。儘醜儘美。亦烏乎害。著書貽於後。伝我中心。或有不当。自誤誤人。可不慎乎。
書き下し
写真の後に遺るは、我が外貌を伝ふ。或いは似ざる有りて、儘醜儘美なるも、亦烏くんぞ害あらん。著書の後に貽るは、我が中心を伝ふ。或いは当たらざる有れば、自ら誤り人を誤る。慎まざるべけんや。
現代語訳
肖像画が後世に残るのは、自分の外見を伝えるものである。たとえ似ていないところがあって、ひどく醜く描かれようと美しく描かれようと、何の差し支えがあろうか。著書が後世に残るのは、自分の心の中を伝えるものである。もし当を得ないところがあれば、自分を誤り、人をも誤らせる。慎まないでいられようか。
解説
肖像と著書を対比して、書くことの責任を説いた一条です。ここでの「写真」は写生した肖像画のことです。一斎には渡辺崋山が描いた有名な肖像画が残っていますが、一斎は、肖像が似ていなくても害はないと言います。外見が醜く描かれようと美しく描かれようと、それは外面にすぎないからです。ところが著書は自分の心の中を伝えるものであり、誤りがあれば自分を誤るだけでなく、読む人をも誤らせる。前条で著述を勧めた一斎は、ここで同時にその重さを自らに課しています。発信の手段が増え、誰もが書いたものを残せる今、自分の言葉が他人の判断に影響することへの慎みをどう持つかを考えさせます。
この章句が説くこと
著述慎み責任言葉心術
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