言志四録 / 言志耋録 第二百二十六条 先づ経に熟して後に註
學生治經。宜先熟於經。而後求諸註。今皆熟於註。不熟於經。是以不得深意。關尹子曰。善弓者。師弓。不師羿。善舟者。師舟。不師奡。此言然。
新字:学生治経。宜先熟於経。而後求諸註。今皆熟於註。不熟於経。是以不得深意。関尹子曰。善弓者。師弓。不師羿。善舟者。師舟。不師奡。此言然。
書き下し
学生の経を治むるは、宜しく先づ経に熟して、而る後に諸を註に求むべし。今は皆註に熟して、経に熟せず。是を以て深意を得ず。関尹子曰く、「善く弓する者は、弓を師として、羿を師とせず。善く舟する者は、舟を師として、奡を師とせず」と。此の言然り。
現代語訳
学生が経書を学ぶには、まず経書の本文に習熟し、その後で注釈に求めるべきである。今の学生はみな注釈には通じているが、経書そのものには通じていない。だから深い意味をつかめないのである。関尹子(老子に教えを受けたとされる人物)は「弓の上手な者は弓そのものを師とし、弓の名人羿を師とはしない。舟の上手な者は舟そのものを師とし、舟を操る力士奡を師とはしない」と言った。この言葉はもっともである。
解説
学びの順序として、注釈より先に本文を読み込めと説く一条です。当時の学生は朱子の注など権威ある注釈を熟知していても、経書そのものを繰り返し読んでいないため、深い意味に届かないと一斎は嘆きます。引かれる関尹子の言葉は、弓の名手羿や舟を操った奡という達人ではなく、弓や舟そのものを師とせよというものです。朱子学を公に講じながら陽明学にも理解を示した一斎らしく、どの学派の解釈に従うかより、原典と自分が直接向き合うことを重んじています。解説書や要約から入りがちな今、一次情報や現物にどれだけ触れているかを考えさせます。
この章句が説くこと
読書原典自得学問経書
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