言志四録 / 言志耋録 第二百十九条 毀誉は鏡中の影子
我不自知面貌之好醜。必對鏡而後知之。人之毀譽我。即是鏡中之影子。於我有益。但至老境。無心於毀譽。則鏡中亦不認影子耳。
新字:我不自知面貌之好醜。必対鏡而後知之。人之毀誉我。即是鏡中之影子。於我有益。但至老境。無心於毀誉。則鏡中亦不認影子耳。
書き下し
我は自ら面貌の好醜を知らず。必ず鏡に対して而る後に之を知る。人の我を毀誉するは、即ち是れ鏡中の影子にして、我に於て益有り。但だ老境に至りて、毀誉に心無ければ、則ち鏡中も亦影子を認めざるのみ。
現代語訳
自分は自分の顔立ちの美醜を自ら知ることはできない。必ず鏡に向かってはじめてそれを知る。他人が自分を褒めたり謗ったりするのは、まさに鏡に映った影であり、自分にとって益がある。ただ老境に至って、毀誉に心を動かさなくなれば、鏡の中にも影を認めなくなるだけである。
解説
他人の毀誉を、自分の顔を映す鏡にたとえた一条です。人は自分の顔を直接見ることができず、鏡を通してはじめて知ります。同じように、自分の言動の良し悪しは、他人の褒め言葉や批判を通して知ることができる。だから毀誉は益になる、と一斎は言います。毀誉を「雲霧」として払えと説いた言志録の条とは、角度の違う見方です。ところが後半では、老境に至って毀誉に心がなくなれば、鏡を覗いても影が映らなくなると続けます。八十歳を過ぎた一斎が、もはや他人の評価に自分を映す必要を感じなくなった境地を率直に記したものでしょう。周囲の声を自分を知る鏡として使えているか、また振り回されてはいないかを考える材料になります。
この章句が説くこと
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