言志四録 / 言志耋録 第二百十四条 毀りて当たる者は我が師
徒譽我者。不足喜。徒毀我者。不足怒。譽而當者。我友也。宜勗以求其實。毀而當者。我師也。宜敬以從其訓。
新字:徒誉我者。不足喜。徒毀我者。不足怒。誉而当者。我友也。宜勗以求其実。毀而当者。我師也。宜敬以従其訓。
書き下し
徒らに我を誉むる者は、喜ぶに足らず。徒らに我を毀る者は、怒るに足らず。誉めて当たる者は、我が友なり。宜しく勗めて以て其の実を求むべし。毀りて当たる者は、我が師なり。宜しく敬して以て其の訓に従ふべし。
現代語訳
むやみに自分を褒める者は、喜ぶに値しない。むやみに自分を謗る者は、怒るに値しない。褒めてそれが的を射ている者は、自分の友である。努めてその褒め言葉に見合う実質を備えるよう求めるべきである。謗ってそれが的を射ている者は、自分の師である。敬ってその教えに従うべきである。
解説
毀誉への向き合い方を、友と師という二つの言葉で整理した一条です。一斎がまず退けるのは「徒らに」、つまり根拠のない褒め言葉と悪口で、どちらも心を動かす値打ちはないとします。問題は当たっている場合です。的を射た賞賛をくれる人は友であり、その言葉に実質が追いつくよう努めよと言います。的を射た批判をくれる人は師であり、敬って従えと言います。褒められたら喜び、けなされたら怒るという反射を止め、中身が当たっているかどうかだけを見る態度です。耋録ではこの前後に毀誉を論じた条が続きます。部下や顧客からの厳しい指摘を、師の言葉として受け取れているかを振り返る材料になります。
この章句が説くこと
毀誉批判謙虚師友自省
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