大和俗訓 / 巻之七・躬行下
一わが身の上を、常にかへりみ修むべし。人のほめそしりは、あながちに憂よろこびとするに足らず。如何となれば、ほむる人、そしる人、必皆賢者にあらざればなり。一人我をそしらば、たゞ我が身の過をかへりみるべし。もし我が身に過あらば、そしる人は、卽わが師なりと思ひ、うらむべからず。我が身に少しも過なきをそしらば、彼の人は妄人なり。彼とあらそひ惡むに足らず。
新字:一わが身の上を、常にかへりみ修むべし。人のほめそしりは、あながちに憂よろこびとするに足らず。如何となれば、ほむる人、そしる人、必皆賢者にあらざればなり。一人我をそしらば、たゞ我が身の過をかへりみるべし。もし我が身に過あらば、そしる人は、即わが師なりと思ひ、うらむべからず。我が身に少しも過なきをそしらば、彼の人は妄人なり。彼とあらそひ悪むに足らず。
書き下し
一わが身の上を、常にかへりみ修むべし。人のほめそしりは、あながちに憂よろこびとするに足らず。如何となれば、ほむる人、そしる人、必皆賢者にあらざればなり。一人我をそしらば、ただ我が身の過をかへりみるべし。もし我が身に過あらば、そしる人は、即わが師なりと思ひ、うらむべからず。我が身に少しも過なきをそしらば、彼の人は妄人なり。彼とあらそひ悪むに足らず。
現代語訳
自分の身の上を、いつもかえりみて修めなさい。人のほめそしりは、むやみに憂えたり喜んだりするには足りません。なぜかといえば、ほめる人もそしる人も、必ずしもみな賢者ではないからです。人が自分をそしったなら、ただ自分の身の過ちをかえりみなさい。もし自分の身に過ちがあれば、そしる人はすなわち自分の師だと思い、恨んではいけません。自分の身に少しも過ちがないのにそしるなら、その人は道理をわきまえない人です。その人と争い憎むには足りません。
解説
この章句が説くこと
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