養生訓 / 巻第六・択医
一我よりまへに、其病人に藥を與へし醫の治法、たとひあやまるとも、前醫をそしるべからず。他醫をそしり、わが術にほこるは、小人のくせなり。醫の本意にあらず。其心ざまいやし。聞く人に思ひ下さるゝもあさまし。
新字:一我よりまへに、其病人に薬を与へし医の治法、たとひあやまるとも、前医をそしるべからず。他医をそしり、わが術にほこるは、小人のくせなり。医の本意にあらず。其心ざまいやし。聞く人に思ひ下さるゝもあさまし。
書き下し
一我よりまへに、其病人に薬を与へし医の治法、たとひあやまるとも、前医をそしるべからず。他医をそしり、わが術にほこるは、小人のくせなり。医の本意にあらず。其心ざまいやし。聞く人に思ひ下さるるもあさまし。
現代語訳
自分より前に、その病人に薬を与えた医者の治療法が、たとえ誤っていても、前の医者をそしってはいけません。他の医者をそしり、自分の術を誇るのは、小人のくせです。医の本意ではありません。その心の持ちようは卑しいものです。聞く人に見下されるのも、あさましいことです。
解説
前に診た医者の治療を批判することを戒めた短い条です。たとえ前の医者が誤っていても、それをそしって自分の腕を誇るのは小人のくせで、医の本意にかなわず、かえって聞く人に見下されると述べています。他人の失敗を持ち出して自分をよく見せようとする態度は、医療に限らずどの職場でも見られるものです。前任者や同業者を悪く言わず、目の前の課題に誠実に取り組むことこそが、信頼を得る近道だという教えは、今も変わらない職業人の心得です。
この章句が説くこと
職業倫理批判小人謙虚信頼
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