言志四録 / 言志耋録 第二百七条 無義の利は我の讐なり
有實之名。不必謝。我之賓也。無義之利。不苟受。我之讎也。
新字:有実之名。不必謝。我之賓也。無義之利。不苟受。我之讎也。
書き下し
実有るの名は、必ずしも謝せず。我の賓なり。義無きの利は、苟くも受けず。我の讐なり。
現代語訳
実質の伴った名声は、無理に辞退する必要はない。それは自分の客人である。義にかなわない利益は、かりそめにも受け取らない。それは自分の仇である。
解説
前条の「名は実の賓」を受けて、名と利への態度を対句でまとめた条です。実力に見合った名声は、自分の実を訪ねてきた客人のようなものだから、ことさら辞退して謙遜ぶる必要はない。一方、義に外れた利益は、受け取れば自分を損なう仇であるから、どんなに小さくても手を出さない。賓と讐、客人と仇という対比が鮮やかです。『論語』述而篇の「不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し」の精神にも通じます。正当な評価や報酬は堂々と受け取り、筋の通らない利益にはどれほど魅力的でも近づかない。この単純な線引きが、長い職業人生の中で自分を守ることになるのかもしれません。
この章句が説くこと
名と実義利廉潔
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司馬法・仁本義を争いて利を争わず、是を以てその義を明らかにするなり。
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