言志四録 / 言志耋録 第百九十九条 之を動かすに天を以てす
藝能之熟。動之以天。妙在才不才之外。
新字:芸能之熟。動之以天。妙在才不才之外。
書き下し
芸能の熟するや、之を動かすに天を以てす。妙は才不才の外に在り。
現代語訳
技芸が熟達すると、それを動かすのはもはや自分の意図ではなく天(自然のはたらき)である。その妙味は、才能がある・ないという次元の外にある。
解説
技芸の極致を述べた短い条です。修練を重ねて技が熟すると、手や身体はもはや意識的な計算で動くのではなく、天、すなわち自然のはたらきによって動くようになる。『荘子』養生主篇の料理人・庖丁が、牛を解くのに目ではなく神で遇したという話を思わせる境地です。一斎は、その妙はもはや才能のあるなしで説明できるものではないと言います。天分に恵まれた者だけが到達できる世界ではなく、熟練の果てに誰にでも開かれうる境地だという含意も読み取れるでしょう。前条の「芸能は身に在り」を受けています。長年の仕事で身についた勘や手際が、理屈を超えて働く瞬間の意味を考えさせる条です。
この章句が説くこと
熟達芸能天修練無心
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