言志四録 / 言志耋録 第百九十二条 言語の道は時中を要す
言語之道。不必問多寡。只要時中。然後人不厭其言。
書き下し
言語の道は、必ずしも多寡を問はず。只時中を要す。然る後に人其の言を厭はず。
現代語訳
ものを言う道においては、必ずしも言葉の多い少ないを問うものではない。ただその時にかなって適切であることが肝要である。そうであってはじめて、人はその言葉を嫌がらない。
解説
前条で「自ら言ふは多くすること勿れ」と言った一斎は、ここで量より時宜が大切だと補います。「時中」は『中庸』の「君子にして時に中す」から来た語で、その時その場に最もふさわしい在り方を指します。結びの「人其の言を厭はず」は、『論語』憲問篇で公叔文子について「時にして然る後に言ふ、人其の言を厭はず」と評された句を踏まえています。黙っていればよいのではなく、言うべき時に言うべきことを言う。長く話しても的を射ていれば人は聞き、短くても場違いなら疎まれます。会議での発言も部下への助言も、内容と同じくらいタイミングが効果を左右するという実感に重なる条です。
この章句が説くこと
時中言語時宜中庸
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