言志四録 / 言志耋録 第百七十六条 人己は一なり
我欲觀人。則人郤觀我。我欲使人觀我。則人不能觀我。而我郤觀人。感應之幾如是。人己。一也。自知而不知人。未自知者也。自愛而不愛人。未自愛者也。
新字:我欲観人。則人郤観我。我欲使人観我。則人不能観我。而我郤観人。感応之幾如是。人己。一也。自知而不知人。未自知者也。自愛而不愛人。未自愛者也。
書き下し
我人を観んと欲すれば、則ち人却つて我を観る。我人をして我を観しめんと欲すれば、則ち人我を観る能はずして、我却つて人を観る。感応の幾は是くの如し。人己は一なり。自ら知りて人を知らざるは、未だ自ら知らざる者なり。自ら愛して人を愛せざるは、未だ自ら愛せざる者なり。
現代語訳
自分が人を観察しようと身構えると、かえって相手に自分のほうが見抜かれる。自分を人に観てもらおうと心を開けば、相手はかえって自分を見抜くことができず、むしろ自分のほうが相手を観ることになる。心の感応の機微とはこのようなものである。他人と自分とは一つである。自分を知っていながら人を知らないのは、まだ本当に自分を知っていない者である。自分を愛していながら人を愛さないのは、まだ本当に自分を愛していない者である。
解説
前条の「人を観る」を一歩深め、観る者と観られる者の逆説を述べた条です。値踏みしようと構えれば、その構えがかえって相手に伝わって自分が見透かされる。逆にこちらが胸襟を開けば、相手は警戒を解き、その人柄が自然に見えてくる。一斎はこれを「感応の幾」、心と心が響き合う微妙な機だと言います。そして「人己は一」、人と自分は根で通じているので、自分を知ることと人を知ること、自分を愛することと人を愛することは切り離せないと結びます。陽明学の万物一体の考えにも通じる見方です。部下や取引先を評価しようとする前に、まず自分がどう見られているかを考える材料になります。
この章句が説くこと
人を見る目感応自己認識人己一体愛
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