言志四録 / 言志耋録 第百三十五条 楽は心の本体
樂。是心之本體。惟聖人全之。何以見之。其徵於色。動於四體者。自然能申申如也。夭夭如也。
新字:楽。是心之本体。惟聖人全之。何以見之。其徴於色。動於四体者。自然能申申如也。夭夭如也。
書き下し
楽は是れ心の本体なり。惟だ聖人のみ之を全うす。何を以て之を見る。其の色に徴し、四体に動く者、自然に能く申申如たり、夭夭如たり。
現代語訳
楽しみこそが心の本来のあり方である。ただ聖人だけがそれを完全に保っている。何によってそれがわかるか。その顔色に表れ、手足の振る舞いに動くところが、おのずとのびのびとくつろぎ、和やかに晴れやかなのである。
解説
「楽は是れ心の本体」は、王陽明が『伝習録』で語った言葉で、陽明学にも心を寄せた一斎らしい引用です。ここでいう楽は、外から得る快楽ではなく、欲や迷いに曇らされていない心がもともと備えている和らぎを指します。その証しとして一斎は、『論語』述而篇で孔子がくつろいでいる姿を描いた「申申如たり、夭夭如たり」を挙げます。聖人の心の楽しみは、顔色や身のこなしにおのずと表れるというのです。前二条で苦楽は人により異なると述べたうえで、その根にある本来の楽を示した流れになっています。上に立つ人の表情や振る舞いが、周囲にどんな空気を伝えているかを考える手がかりにもなります。
この章句が説くこと
楽心の本体聖人陽明学気象
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