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言志四録 / 言志耋録 第百三十四条 苦楽に一定無し

苦樂。固亦無一定。假如我讀書至夜央。人皆謂之苦。而我則樂之。世俗所好淫哇俚腔。我則掩耳而過之。果知苦樂無一定。各以其所苦樂爲苦樂耳。

新字:苦楽。固亦無一定。仮如我読書至夜央。人皆謂之苦。而我則楽之。世俗所好淫哇俚腔。我則掩耳而過之。果知苦楽無一定。各以其所苦楽為苦楽耳。

書き下し

苦楽も、固より亦一定無し。仮如へば我書を読みて夜央に至る、人皆之を苦と謂ふ、而るに我は則ち之を楽しむ。世俗の好む所の淫哇俚腔は、我は則ち耳を掩ひて之を過ぐ。果して苦楽に一定無きを知る。各々其の苦楽とする所を以て苦楽と為すのみ。

現代語訳

苦しみと楽しみにも、もともと一定のものはない。たとえば私が夜半まで書物を読んでいると、人はみなそれを苦しいことだと言うが、私はそれを楽しんでいる。世間の人が好むみだらな歌や卑俗な節回しは、私は耳をふさいで通り過ぎる。やはり苦楽に一定したものはないとわかる。人はそれぞれ、自分が苦しいと感じ楽しいと感じるものを苦楽としているだけである。

解説

前条の「順逆」に続いて、「苦楽」もまた心の側にあると、自分の体験を例に語った一条です。夜更けまで書を読むのは人から見れば苦行でも、一斎には楽しみであり、世間が好む流行り歌は一斎には耳をふさぎたいものだった。八十歳を過ぎても筆を執り続けた人らしい実感がこもっています。苦楽の感じ方は人それぞれであり、何を楽しいと感じるかは、その人が何を大切にしているかを映しています。ここから次条の「楽は心の本体」へと話が深まっていきます。人に仕事を任せるとき、自分にとっての苦楽の尺度を相手にそのまま当てはめていないかを考える材料にもなるでしょう。

この章句が説くこと

苦楽読書価値観心の持ち方

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