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言志四録 / 言志耋録 第百三十三条 順逆は我が心に在り

余意天下事。固無順逆。我心有順逆。以我所順視之。逆皆順也。以我所逆視之。順皆逆也。果有一定乎。在達者以一理爲權衡。以定其輕重耳。

新字:余意天下事。固無順逆。我心有順逆。以我所順視之。逆皆順也。以我所逆視之。順皆逆也。果有一定乎。在達者以一理為権衡。以定其軽重耳。

書き下し

余意ふに、天下の事、固より順逆無し。我が心に順逆有り。我が順とする所を以て之を視れば、逆も皆順なり。我が逆とする所を以て之を視れば、順も皆逆なり。果して一定有らんや。達者に在りては、一理を以て権衡と為し、以て其の軽重を定むるのみ。

現代語訳

私が思うに、天下の事柄にはもともと順も逆もない。自分の心のほうに順と逆があるのだ。自分が順とする見方で見れば、逆境もみな順境であり、自分が逆とする見方で見れば、順境もみな逆境となる。どうして一定したものがあろうか。道に達した人は、ただ一つの道理を秤として、その軽重を定めるだけである。

解説

前条で順境・逆境の処し方を述べたうえで、そもそも順逆は出来事の側ではなく、受け取る心の側にあると踏み込んだ一条です。同じ出来事でも、順と見る心で見れば順になり、逆と見る心で見れば逆になる。ただし一斎は、気の持ちようで何でも好転するという楽観を説いているのではありません。結びで「一理を以て権衡と為す」と言うように、好悪の感情ではなく、ただ一つの道理を秤にして事の軽重を量ることを求めています。心の内に理を据える朱子学の姿勢が見えます。起きたことを順逆で色づける前に、何を基準に重さを量っているのかを問い直すきっかけになる一条です。

この章句が説くこと

順逆心の持ち方道理判断権衡

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