言志四録 / 南洲手抄
人一生所遭、有險阻、有坦夷、有安流、有驚瀾。是氣數自然、竟不能免、即易理也。人宜居而安、玩而樂焉。若趨避之、非達者之見。
新字:人一生所遭、有険阻、有坦夷、有安流、有驚瀾。是気数自然、竟不能免、即易理也。人宜居而安、玩而楽焉。若趨避之、非達者之見。
書き下し
人一生遭ふ所、険阻有り、坦夷有り、安流有り、驚瀾有り。是れ気数の自然にして、竟に免るる能はず、即ち易理なり。人宜しく居つて安んじ、玩んで楽しむべし。若し之を趨避せば、達者の見に非ず。
現代語訳
人が一生のうちに出会うものには、険しい難所もあれば、平らな安地もあり、穏やかな流れもあれば、驚くような荒波もある。これは自然のめぐりあわせであって、結局は避けられない。まさに易(変化の理法)そのものだ。だから人は、その場に落ち着いて安んじ、むしろそれを味わい楽しむのがよい。もし逃げ避けようとするなら、それは道を悟った者の見識ではない。
解説
人生の浮き沈みへの向き合い方を、易の思想で説いた一条です。順境も逆境も、平地も荒波も、すべては自然のめぐり(気数)であって避けられない。ならば逃げ回るのではなく、その中に落ち着き、むしろ味わい楽しめ、と一斎は言います。逆境を「玩んで楽しむ」という境地は容易ではありませんが、避けられないものと知って腹をくくれば、苦難さえ人生の妙味に変わる。困難を排除すべき敵とみなしがちな私たちに、変化そのものを受け入れて味わう達観を示してくれる、力強い一条です。
この章句が説くこと
順逆易理受容達観
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風姿花伝・第六 花修一、作者の思ひ分くべき事あり。ひたすらしづかなる本木の音曲ばかりなると、また舞はたらきのみなるとは、一向なれば書きよきものなり。音曲にてはたらく能あるべし、これ一大事なり。真実おもしろしと感をなすは、これなり。聞く所は耳近におもしろき言葉にて、節のかかりよくて、文字移りの美しくつづきたらんが、殊更風情をもちたる詰を嗜みて書くべし。この数々相応する所にて、諸人一同に感をなすなり。さるほどにこまかに知るべき事あり。風情を博士にて音曲をする仕手は、初心のところなり。音曲よりはたらきの生ずるは、劫入りたる故なり。音曲は聞く所、風体は見る所なり。一切の事は、謂を道にしてこそ、よろづの風情にはなるべき理なれ。謂をあらはすは言葉なり。さるほどに音曲は体なり、風情は用なり。然れば音曲よりはたらきの生ずるは順なり、はたらきにて音曲をするは逆なり。諸道諸事において、順逆とこそ下るべけれ、逆順とはあるべからず。返々音曲の言葉のたよりをもて、風体を彩り給ふべきなり。これ音曲はたらき一心になる稽古なり。さるほどに能を書くところに、また工夫あり。音曲よりはたらきを生ぜさせんが為、書くところをば風情を本に書くべし。風情を本に書きて、さてその言葉を謡ふときには、風情おのづから生ずべし。然れば書くところをば風情を先だてて、しかも謡のかかりよきやうに嗜むべし。さて当座の芸能にいたるときは、また音曲を先とすべし。かやうに嗜みて劫入りぬれば、謡ふも風情、舞ふも音曲になりて、万曲一心たる達者となるべし。これまた作者の功名なり。
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