呂氏春秋 / 似順①
事多似倒而順,多似順而倒。有知順之為倒、倒之為順者,則可與言化矣。至長反短,至短反長,天之道也。
新字:事多似倒而順,多似順而倒。有知順之為倒、倒之為順者,則可与言化矣。至長反短,至短反長,天之道也。
書き下し
事、倒に似て順なるもの多く、順に似て倒なるもの多し。順の倒為る、倒の順為るを知る者有れば、則ち與に化を言う可し。至長の短に反り、至短の長に反るは、天の道なり。
現代語訳
物事には、逆さまに見えて実は道理にかなっているものが多く、道理にかなって見えて実は逆さまなものも多い。道理が逆となり、逆が道理となることを知る者となら、変化の道理を語り合うことができる。極めて長いものはかえって短くなり、極めて短いものはかえって長くなる。これが天の道理である。
解説
この段は「似順」篇全体の総論です。物事は順逆が入れ替わって見えることが多く、その反転を見抜ける者こそ変化の理を語れると説きます。背景には、表面の印象で判断すると本質を取り違えるという戦国期の政治的教訓があります。極長は短に、極短は長に転じるという天の道は、盛者必衰や柔弱が剛強に勝つといった逆説的思考に通じます。現代でも、短期的に不利に見える選択が長期の利益になり、逆に順調に見える成功が衰退の種を宿すことは珍しくありません。表層の順逆に惑わされず、反転の力学を読む視点は、経営判断やリスク管理にそのまま生かせます。
この章句が説くこと
似順順逆逆説変化天の道本質を見抜く
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