信心銘 / 第二章
欲得現前 莫存順逆 違順相爭 是為心病 不識玄旨 徒勞念靜
新字:欲得現前 莫存順逆 違順相争 是為心病 不識玄旨 徒労念静
書き下し
現前(げんぜん)を得(え)んと欲(ほっ)せば、順逆(じゅんぎゃく)を存(そん)する莫(な)かれ。違順(いじゅん)相(あ)ひ爭(あらそ)ふ、是(こ)れを心病(しんびょう)と為(な)す。玄旨(げんし)を識(し)らずして、徒(いたづ)らに念靜(ねんじょう)を勞(ろう)す。
現代語訳
道を目の前に現したいなら、順境と逆境を分けて抱えこむな。逆らうものと従うものとが争い合う、それが心の病である。奥深い趣旨を知らないまま、いたずらに静けさを念じて骨を折るだけだ。
解説
前章の「揀擇」を、順逆という具体に落とす。順境と逆境、思い通りと思い通りでないもの。この二つを立てて心の中で争わせること自体が病だという。ここで注意すべきは最後の二句である。「玄旨を識らずして、徒らに念靜を勞す」——静かになろうと努力すること自体を、そのまま骨折り損だと切り捨てている。心を静めようとする努力は、静と動を分けたうえで静の側に立とうとする行為であり、それもまた揀擇にほかならない。修行らしい修行を早々に否定してしまうところに、この書の厳しさがある。落ち着こうと努めるほど落ち着かないという、誰もが知っている経験の根っこを言い当てている。
この章句が説くこと
順逆心病玄旨念静
関連する章句
-
言志四録・南洲手抄人一生遭ふ所、険阻有り、坦夷有り、安流有り、驚瀾有り。是れ気数の自然にして、竟に免るる能はず、即ち易理なり。人宜しく居つて安んじ、玩んで楽しむべし。若し之を趨避せば、達者の見に非ず。
-
呂氏春秋・似順①事、倒に似て順なるもの多く、順に似て倒なるもの多し。順の倒為る、倒の順為るを知る者有れば、則ち與に化を言う可し。至長の短に反り、至短の長に反るは、天の道なり。
-
論語・公冶長篇子、南容を謂う、「邦に道有れば廃せられず、邦に道無ければ刑戮を免る。」其の兄の子を以て之に妻あわす。
-
呂氏春秋・重己②烏獲をして疾く牛尾を引かしめば、尾絶え力勯くるとも、牛の行く可からざるは、逆えばなり。五尺の豎子をして其の棬を引かしめば、乃ち牛の以て之く所を恣にするは、順えばなり。世の人主貴人、賢不肖と無く、長生久視を欲せざるは莫し。而るに日に其の生に逆わば、之を欲するも何の益かあらん。凡そ生の長きや、之に順えばなり。生をして順わざらしむる者は欲なり。故に聖人は必ず先づ欲を適にす。
-
風姿花伝・第六 花修一、作者の思ひ分くべき事あり。ひたすらしづかなる本木の音曲ばかりなると、また舞はたらきのみなるとは、一向なれば書きよきものなり。音曲にてはたらく能あるべし、これ一大事なり。真実おもしろしと感をなすは、これなり。聞く所は耳近におもしろき言葉にて、節のかかりよくて、文字移りの美しくつづきたらんが、殊更風情をもちたる詰を嗜みて書くべし。この数々相応する所にて、諸人一同に感をなすなり。さるほどにこまかに知るべき事あり。風情を博士にて音曲をする仕手は、初心のところなり。音曲よりはたらきの生ずるは、劫入りたる故なり。音曲は聞く所、風体は見る所なり。一切の事は、謂を道にしてこそ、よろづの風情にはなるべき理なれ。謂をあらはすは言葉なり。さるほどに音曲は体なり、風情は用なり。然れば音曲よりはたらきの生ずるは順なり、はたらきにて音曲をするは逆なり。諸道諸事において、順逆とこそ下るべけれ、逆順とはあるべからず。返々音曲の言葉のたよりをもて、風体を彩り給ふべきなり。これ音曲はたらき一心になる稽古なり。さるほどに能を書くところに、また工夫あり。音曲よりはたらきを生ぜさせんが為、書くところをば風情を本に書くべし。風情を本に書きて、さてその言葉を謡ふときには、風情おのづから生ずべし。然れば書くところをば風情を先だてて、しかも謡のかかりよきやうに嗜むべし。さて当座の芸能にいたるときは、また音曲を先とすべし。かやうに嗜みて劫入りぬれば、謡ふも風情、舞ふも音曲になりて、万曲一心たる達者となるべし。これまた作者の功名なり。
-
史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。