言志四録 / 言志耋録 第八十八条 災祥は順逆の数
災祥。是順逆之數。弔賀。是相待之詞。歸之於本始。則無弔賀。又無災祥耳。
新字:災祥。是順逆之数。弔賀。是相待之詞。帰之於本始。則無弔賀。又無災祥耳。
書き下し
災祥は、是れ順逆の数なり。弔賀は、是れ相待の詞なり。之を本始に帰せば、則ち弔賀無く、又災祥無きのみ。
現代語訳
災いと幸いとは、物事が順調に運ぶか逆に運ぶかという巡り合わせにすぎない。お悔やみと祝いとは、互いに相手があって初めて成り立つ相対的な言葉である。これを根本の始まりに立ち返らせて見れば、お悔やみも祝いもなく、また災いも幸いもないのである。
解説
人が災いと呼び幸いと呼ぶものは、流れが順か逆かという巡り合わせの違いにすぎず、それに応じて弔ったり祝ったりする言葉も、互いを前提にした相対的なものだと一斎は言います。「本始」、つまり万物が生じてくる根源の天の側から見れば、禍福の区別そのものが消えてしまう。『言志録』巻頭の「数」の考えを、八十歳を過ぎた一斎がもう一度言い直したような一条です。突き放した達観に見えますが、目の前の吉凶に振り回されず、根本に立ち返って事を見るための視点の置き方を示しています。好調や不調の報せに一喜一憂しそうなとき、どこに立って眺めるかを考える材料になります。
この章句が説くこと
禍福順逆相対達観天
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