言志四録 / 言志耋録 第百九条 心事は朗月清風の如し
胡文定云。世事當如行雲流水。余謂心事當如朗月清風。
新字:胡文定云。世事当如行雲流水。余謂心事当如朗月清風。
書き下し
胡文定云ふ、「世事は当に行雲流水の如くなるべし」と。余謂ふ、「心事は当に朗月清風の如くなるべし」と。
現代語訳
胡文定(宋の儒者胡安国)は「世の中の事は、行く雲や流れる水のようにあるべきだ」と言った。私は「心の中の事は、明るい月やすがすがしい風のようにあるべきだ」と言いたい。
解説
胡文定は北宋から南宋にかけての儒者胡安国で、『春秋伝』で知られます。その「世事は行雲流水の如くあるべし」という言葉は、世の中の出来事には執着せず、雲が行き水が流れるように自然に処していけばよいという意味です。一斎はこれに対句を添えて、心の中は朗らかな月やすがすがしい風のようであるべきだと言います。世事の側の心構えに対して、心そのものの明るさと清らかさを言い足したわけです。外の出来事を流していけるのは、内側が澄んでいるからこそでしょう。先人の言葉を受けとめつつ自分の一句で補うのは、一斎の得意とするところです。忙しい日々の中で、自分の胸の内が曇っていないかを見る目安になります。
この章句が説くこと
心境執着清明処世
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