言志四録 / 言志後録 第九条 心の霊光は太陽と並び明らか
人處世有多少應酬。塵勞鬧攘。膠膠擾擾。起滅無端。因復生此計較揣摩。歆羨慳吝。無量客感妄想。都是習氣爲之也。譬之魑魅百怪。昏夜橫行。及太陽一出。則遁逃潜迹。心之靈光。與太陽並明。能達其靈光。則習氣消滅。不能爲之嬰累。聖人一掃之。曰何思何慮。而其思歸於無邪。無邪卽靈光之本體也。
新字:人処世有多少応酬。塵労鬧攘。膠膠擾擾。起滅無端。因復生此計較揣摩。歆羨慳吝。無量客感妄想。都是習気為之也。譬之魑魅百怪。昏夜横行。及太陽一出。則遁逃潜迹。心之霊光。与太陽並明。能達其霊光。則習気消滅。不能為之嬰累。聖人一掃之。曰何思何慮。而其思帰於無邪。無邪即霊光之本体也。
書き下し
人の世に処するに、多少の応酬有り。塵労鬧攘、膠膠擾擾として、起滅端無し。因りて復た此の計較揣摩、歆羨慳吝、無量の客感妄想を生ず。都て是れ習気之を為すなり。譬へば魑魅百怪の、昏夜に横行し、太陽一たび出づるに及べば、則ち遁逃して迹を潜むるがごとし。心の霊光は、太陽と並び明らかなり。能く其の霊光を達すれば、則ち習気消滅して、之が嬰累を為す能はず。聖人之を一掃して曰く、「何をか思ひ何をか慮らん」と。而して其の思ひは無邪に帰す。無邪は即ち霊光の本体なり。
現代語訳
人が世の中で暮らしていくには、多くの付き合いややりとりがある。俗世の骨折りや騒がしさが入り乱れ、起こっては消えて果てしがない。そのためにまた、損得の計算や人の腹の探り合い、うらやみやけち臭さといった、数限りない外から来る感情や妄想が生じる。これはみな、身に染みついた習気(悪い習慣の気)がそうさせているのである。たとえば魑魅や化け物が、暗い夜にはわがもの顔にのし歩いても、太陽がひとたび昇れば、逃げ隠れて跡をくらましてしまうようなものである。心の霊妙な光は、太陽と並ぶほど明るい。その霊光を行き渡らせることができれば、習気は消えてなくなり、心にまとわりつくことはできなくなる。聖人はこれを一掃して「何を思い何を慮ることがあろうか」と言った。そして、その思いは「邪無し」に帰着する。邪無しとは、すなわち霊光の本来の姿である。
解説
この章句が説くこと
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